1月4日は、
ジジの命日。
我が家の愛猫。
2016年1月4日、午前11時49分。
自宅のリビングに敷いたタオルの上で、
みんなに囲まれて、息を引き取った。
誕生は2005年3月7日。
11年2カ月の短い一生だった。
このブログをはじめてから、
日曜日は【ジジの気分】と題して、
ジジの生活を描いた。
そして毎年の正月に、
ジジと一緒に写真に納まった。
2008年元旦。
2009年。
2010年。
2011年元旦。
この年、東日本大震災が起こった。
2012年。
2013年。
2014年。
そして2015年。
もう腎臓が悪化していた。
網膜剥離も患っていた。
そして2016年、
あちらの世界に行った。
「ほぼ日」の糸井重里さんも、
ブイヨンという愛犬を亡くした。
昨2018年3月21日午後3時16分。
私もブイヨンは大好きで、
犬派、猫派など関係なく、
応援していた。
糸井さんたちの気持ちはよくわかる。
いま、糸井家には、
ブイコというブイヨンの妹分がいる。
しかし私はまだジジの弟や妹を、
家に入れようとは思わない。
時々【猫の目博物誌】など、
書いている。
今日はそんなジジが、
そばにいるような気持で、
一日を過ごすことにしよう。
合掌。
さて、日経新聞電子版に、
五木寛之さん、登場。
86歳となった。
処女作は1966年の『さらばモスクワ愚連隊』、
67年の『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞。
同年の『海を見ていたジョニー』
『青年は荒野をめざす』など、
初期の作品を読み漁ったし、
もちろん1970年からの『青春の門』
1976年の『戒厳令の夜』など、
追っかけのように読んでいた。
いつ頃からだろう、
五木を卒業したのは。
1977年に社会人となって、
徐々にフェイドアウトした。
しかし、五木寛之の視点や考え方は、
いつも気にかけていた。
だから2010年からの『親鸞』などは、
購入して読んだ。
インタビューのタイトルは、
「ポスト平成をよむ」
まず、平成とはどんな時代だったか。
「平成の30年間には、
大きな事件が繰り返しあったのに、
昭和に比べると、どこか
希薄な感じのする時代だった」
「昭和には、
米ソや左右の陣営が激しく対立し、
労使の対立も激化して、
大きな労働争議やゼネストが
時代を揺るがした」
「それに比べると平成には、
両者の強烈な対立がなくなり、
曖昧な時代になった」
その平成の後の問題点。
「近年の異常な気候変動を見ても、
地球温暖化の問題は、
深刻に進みつつあるし、
原発の問題も長く尾を引くだろう」
「現在73億人を超える世界の人口は、
30年余りで100億人近くになる」
「しかも先進国では若者の人口が減って
高齢層が増え続けている」
「瞬発的な大激動はそれほどなくても、
重い長患いが続いている時代ではないか」
ここからたとえ話。
「ダムに水がたまって
強烈な圧力がかかっている。
次の時代は何かの形で、
その結果が顕在化してくるはずだ」
どんな時代か。
「露骨な時代になる。
曖昧にしていた本質が、あらわになって、
改めて激しい対立や激動が起こると思う」
「貧富の格差にしても、
若者と高齢者の対立にしても、
米ロなど大国間の対立も、
これまでより大きくなるだろう」
露骨な時代。
五木らしい。
なぜ、そうなるのか。
「平成の時代、
国は負債がいくら膨らんでも、
減らそうとはしなかった。
様々なつけを後に回してきた」
「平成とは、問題をなし崩しに
先送りしている中での
相対的な安定期だったのではないか」
そしてまた病気にたとえる。
「様々な病患を抱えながら、
その場その場の鎮痛剤で済ましてきた」
移民の問題。
「今は、難民の時代でもある。
移民や難民が押し寄せて、
それをどう扱うかで
国民国家の存立が問われている。
その影響で、米国でも欧州でも
新たなナショナリズムが台頭している」
ポピュリズム政治家の人気をどう見るか。
「人間とはそんなに利口ではないな、
とつくづく思うことがある」
「第1次世界大戦で
1千万人以上もの人が死んだというのに、
またすぐに
第2次世界大戦を起こすというのは、
どう考えても納得がいかない」
「人間は決して理性的な存在ではなく、
情念とか衝動に流されやすい生き物だ
と思うほかない」
戦争に対する考え方。
「僕は、戦争は一日にしてはならず、
と言っている」
「人心を戦争の空気に染めるには、
50年から70年はかかる。
営々とした教育が必要で、
そう簡単には戦前とはならない」
ポスト平成の大きな問題は。
「人生100年時代といわれ、
希望があるようにいう人もいるが、
全体としてみたら、
必ずしも明るい時代ではない」
「50歳以上の世代が
世の中にあふれてくるのだから」
そこで起こること。
「若者と高齢者の間の緊張感は募るだろう」
「だからいつまでも成長の時代、
登山の意識だけでは、いられない。
いかに上手に下山をするのか。
どのように下山に楽しみを見つけるか
が大切だ」
なるほど「下山の楽しみ」
そのためどうするか。
「高齢者は、身の回りのことは、
できるだけ自分でやり、
自分で養生をすることが大切」
五木寛之はどうするか。
「自分としては、
過去に執着するつもりはない。
むしろ、新たに起こるだろう激動を
見てみたいという好奇心が強い」
「米国の覇権はこの後どうなるのか、
資本主義は、どう変容するのか。
その新たな変化へ、
老いたる胸をときめかしている」
露骨な時代に、
若者と高齢者の緊張が高まる。
これは会社組織の中でも起こる。
特に年長者は、
登山の意識を捨て、
それを若者に押し付けず、
下山の楽しみをみつける。
新たに起こるだろう激動に、
胸をときめかす。
年をとっても、
この好奇心が必須だ。
しかし戦争だけは、
起こしてはならない。
〈結城義晴〉