一月、往ヌル、
二月、逃ゲル。
2019年の2月に入った。
ああ、今年も1カ月が終わった。
「月日は百代の過客にして
行かふ年も又旅人也」
松尾芭蕉の「奥の細道」の始まりの一文。
「百代」は「はくたい」と読んで、
「何代にもわたる」こと。
「永遠」を意味する。
「過客」は「かかく」あるいは「かきゃく」。
「旅人」あるいは「通り過ぎてゆく人」。
月日は永遠の旅人であって、
行き来する年も、
また同じような旅人である。
中学だったか、
古文の教科書に出てきた。
文章を味わうことは、
人生を豊かにすると思う。
インターネットが普及して、
その味わいなどが軽視されてきた。
さて、1月が往ってしまって、
2月に入る。
今年の2月は28日間。
来年はオリンピック年のうるう年。
今年の2月は、
来週月曜日の4日が立春。
「冬が極まり春の気配が立ち始める」
その前日の3日の日曜日は節分。
恵方巻販売は佳境。
その後、9日から18日まで、
極寒のニューヨークに滞在。
帰国すると翌日の19日は、
二十四節気の「雨水」
「空から降るものが雪から雨に変わり、
雪が溶け始めるころ」
月日の行き交いを、
大切に感じ続けねばならない。
さて、2月最初の日に、
川勝利一さん来社。
現在、商人舎Executive Coordinator。
商人舎スペシャルメンバーの一人。
包材業界に「この人あり」と言われる。
私の商業界食品商業編集部員時代。
「トレー」特集を企画して、
ある若い精肉コンサルタントに、
原稿を依頼した。
すると、
驚くほど秀逸な原稿が上がってきた。
「あなたが書いたものではないでしょう」
そう言ったら、「ハイ」という。
ゴーストライターとして、
その原稿を書いたのが川勝利一だった。
それ以来の付き合いだ。
オール日本スーパーマーケット協会で、
かつて講演会が開催された。
私が基調講演で、
業務改革提案講演が川勝さんだった。
その時、控室で、
故北野祐次さんに対して、
川勝さんは自分の生き方を語った。
「散歩のついでに富士山に登っちゃう。
私はそんな生き方をしています」
そうしたら北野さんは言った。
「それはダメです。
目標を定めて、心を高揚させて、
何かを達成することが大事です」
もちろん関西スーパーの創業者。
もともと川勝さんは、
学生時代には、
プロのミュージシャンだった。
ジャズバンドでドラムを叩いていた。
それから毎日新聞東京本社に入り、
さらに包材製造の中央化学㈱に転籍し、
スーパーマンのような活躍。
中央化学を退社してからも、
営業開発、マーケティング、販促企画で、
Coordinatorとして無類の成果を上げる。
そんな川勝利一は、
故上田惇生先生から、
最も信頼された人物の一人だ。
そのドラッカーの分身の先生のことを、
二人して語り合った。
川勝さんとランチをして、
午後からはサミットストアへ。
商人舎オフィスから10分ほどの、
横浜岡野町店。
9年前にオープンして、
現在は114店舗のチェーンストアの中で、
「限りなく3番手に近い4番手」。
平均日販1100万円のすごい店。
副店長の榎本貴彦さんに、
丁寧に対応してもらった。
バレンタインコーナーも充実。
榎本副店長がチーフと打ち合わせ。
冷蔵平ケースの棚割り替え。
チーフの意図を聞いて、
二人で考える。
サミットでは、
「MEチェーン」の考え方が、
組織のDNAとなっている。
細谷泰雄先生が打ち立てた理論で、
荒井伸也元社長・会長が定着させた。
ちなみに私は販売革新編集部時代、
細谷泰雄担当としてそれを勉強した。
Mは「means」、Eは「end」。
meansは手段や方法、endは結果。
手段と結果を、鎖のように論理化し、
樹形図のように構築して、
仕事や業務を改善改革していく。
この副店長とチーフの会話や考察は、
MEチェーンで行われていたに違いない。
サミットの強みは、
この因果関係を突き詰める論理性にある。
川勝さんはかつて、
ものつくり大学を訪れた。
上田惇生先生が教授をしていた。
その学長は故梅原猛先生だった。
上田先生は今年1月10日に亡くなり、
奇しくも梅原先生は、
1月12日に亡くなった。
その梅原先生に初めて会ったとき、
川勝さんはいきなり質問された。
力のある者は、
知恵のある者に使われる。
知恵のある者は、
金のある者に使われる。
では金のある者は、
誰に使われるか。
川勝さんはぐっと考えて答えた。
「夢ですか?
志ですか?」
大正解。
金のある者は、
志あるものに従う。
それ以来、梅原先生にも、
かわいがられた。
「行かふ年も又旅人也」
上田惇生、梅原猛、北野祐次。
逝ってしまった人たちに敬意を払いつつ、
短い2月を真摯に過ごしていこう。
〈結城義晴〉