3月に入ったら、
すぐに桃の節句。
横浜商人舎オフィスの裏に遊歩道がある。
その桜の枝も桃色に色づいてきた。
商人舎オフィスには通常、
車で10分くらいかけて通う。
帰りは東京急行東横線。
その東横線の“青ガエル”。
東横線90周年を記念して、
緑色一色に塗られたラッピング電車だ。
ちょっと古いが一昨年の2017年8月に、
東急東横線は開通から90年を迎えた。
その記念企画として、
青ガエルが1編成だけ再現された。
1年間は知らせて、昨年2018年8月で、
運転を終了する予定だった。
しかし、思いのほか好評だったので、
さらに1年間延期して今年8月末まで走る。
わずか1編成しかない。
出会うのは珍しい。
今年の夏までといわず、
ずっと走らせたらいい。
今日は土曜日で㈱商人舎は休業日だが、
出社して原稿執筆。
故小野貴邦さんの額を背にしていると、
気分が落ち着いて仕事がはかどる。
さて、日経新聞電子版、
火曜日の「経営者ブログ」。
日本のインターネットの草分けが、
㈱インターネットイニシアティブ。
その創業者兼会長が、
鈴木幸一さん。
鈴木さんは出張で京都に寄った。
「京都から、お寺の鐘の音が消えて久しい」
由緒ある歴史的な数々のお寺。
住民の騒音に対する抗議などによって、
鐘をつくことを自粛した。
鈴木さんは言う。
「人びとのこころの退廃だと思う」
同感だ。
「鐘の音を、静寂を破る騒音と、
同じように感じることを、
おかしいという人も少ないのだろう」
柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺
正岡子規の句は明治時代の奈良の話。
「住民の不平にすべて従うというのも、
なんだか心配である」
同感。
ヨーロッパでは、
「教会の鐘の音を騒音として訴えて、
止めてしまう動きは少ない」
「日本は、何ごとも、
住民の意見が優先される。
民主主義はそんなものだといえば、
そうなのだろうが、そのことに、
何の疑問も持たない日本の人々の感性が
危機的な状況にあるのではないかと、
心配である」
再び同感。
思い出すのが、
いつもテキストに入れるお話。
アメリカのスーパーマーケット。
まず伝統のスチュー・レオナード。
1988年、ニューヨークタイムズが称えた。
“The Disneyland of Dairy Stores.”
「まるでディズニーランドのような店」
その有名な「Our Policy」
Rule1
The Customer is Always Right!
原則1 顧客はいつも正しい。
Rule2
If the Customer is Ever Wrong, Reread Rule1.
原則2 顧客が間違っていると思ったとしても原則1を読み返せ。
一方、2010年、
ニューヨークに登場したのが、
イータリー(Eataly)。
2007年にイタリア・ミラノに誕生した、
「買う・食べる・学ぶ」のコンセプトの店。
現在、世界一の進化型フードストア。
スーパーマーケットであり、
レストランである。
まさにGrocerantの象徴。
そのイータリーの「Our Policy」
The customer is not always right
顧客はいつも正しいわけではない。
Eataly is not always right
イータリーもいつも正しいわけではない。
Through our differences, we create harmony
顧客と私たちの差異が調和を創り出す。
レオナードは顧客に対して、
とことん信じようと説く。
これは「何事も住民優先」と同じ。
お客様は神様だ。
一方、イータリーは、
顧客との対等の関係をつくろうとする。
そのハーモニーを重視する。
今日とのお寺と地域住民。
“We create harmony”と、
話し合いはできないか。
鈴木幸一さんのコラムは、
さらにネット社会に展開する。
「ネット上では、どんな奇怪な考え方でも、
どこかに似た考えを持つ人は必ず存在する」
鈴木さんは誰よりも誰よりも、
ネット社会に精通している。
「30億人以上の人々が、
自由に書き込める場では、
全く一人だけしかいない考えというのは
逆に、あり得ない」
「権力や巨大なメディアだけが発信者で、
ほとんどの人は情報を受けるだけという
情報の受発信の構造を変えることで、
権力や巨大なメディアに対する制御となり
無駄な戦争もなくなるのではないか」
「これがネットの第1世代である私たちの
共通した思いであった」
その通り。
しかし、米朝首脳会談に見るまでもなく、
アメリカも北朝鮮も、
権力は「戦争」をネタにして、
面従腹背の交渉。
権力や巨大メディアに対する制御力も、
この民主主義と疎遠な権力者の前では、
力及ばずの面もある。
しかし、時間が解決するに違いない。
その時間もスピードアップしている。
それを信じよう。
人類の情報革命は、
すべての人が「対等」であることを、
大前提としているのだから。
〈結城義晴〉