月刊商人舎3月号の責了。
ずれ込んだのは全部、
私の責任です。
いまや商人舎のボトルネック。
結城義晴です。
すみません。
それでもゲラを読んで、校正。
商人舎が校正の際に使っているのは、
共同通信社「記者ハンドブック」。
校正者がよく使うのは、
この共同通信社のものと、
「朝日新聞の用語の手引」。
なぜか、理由はないけれど、
私が好きだからこっちを使う。
各社の広報のみなさんは、
どっちを使っているのだろう。
今度、アンケートでもしてみようか。
それにしても疲れ切った顔。
日経新聞電子版「経営者ブログ」
いつもの鈴木幸一さん。
1946年9月生まれで、
日本のインターネットサービスの草分け。
㈱インターネットイニシアティブ会長。
93年にネット接続サービスを開始。
ネット企業に道をひらいた業界の重鎮。
酒とタバコ、音楽と読書を、
こよなく愛する。
鈴木さんの変わり者の友人から届いた、
米国メディア産業の雇用実態分析報告。
米国労働省統計局の雇用統計に基づいて、
たった一人で解析した優れもの。
新聞、書籍、出版などのメディア産業は、
デジタル化の進展に、
最も影響を被っている産業だ。
新聞業の就業者数。
1990年6月に45万8000人だったが、
2016年3月には18万3000人。
これは60%減。
しかしネットの出版・放送分野。
3万人が19万8000人に増加。
ラジオ放送。
11万9000人だったが8万7000人へ、
マイナス27%。
対して、ネットの動画・ビデオの就業者数。
9万2000人が23万9000人。
これは160%増。
ネット関連の出版・放送・Web検索などが、
新聞業の就業者数を上回ったのは、
2010年の第4四半期。
以降、その差は広がるばかり。
直近の新聞業でも、
2016年9月の17万4000人が、
2018年に13万9900人と、
20%減となっている。
ネット系の出版・放送・検索の就業者数は、
膨らむばかり。
新聞業で激減しているのは地方で、
いまや「新聞砂漠」
日本でも新聞の部数は減少するばかり。
あなたは新聞、
読んでますか?
鈴木さん。
「いずれ紙媒体である新聞は、
ネットというメディアに
代替されることについて、
反対する人は少ない」
「あのトランプ米大統領のツイッターに、
5800万人ものフォロワーがいる時代」
ちなみに、安倍晋三首相も、
ツイッターのフォロワーは120万人。
しかしこの後が面白い。
「長寿、超高齢化が進む日本は、
そのことで、
新聞やテレビというメディアの
衰退の進行が遅くなる」
雑誌も。
テレビ局によっては、
視聴者の対象を60歳以上に絞る。
それで視聴率を回復した。
年寄り臭い番組ばかりの局もある。
巨大メディアが、
60歳以上の高齢者だけに焦点を合わせる。
それによって、
「どんな世論が形成されるのか」
2極分化が進む。
それだけは間違いない。
新聞を読まず、テレビも見ない世代。
彼らを対象とするコンテンツを制作しても
自ずと、読者数や視聴率は限られている。
だから高齢者に、
歓迎される紙面や番組制作によって、
生き延びる。
「世界の動きに遅れながら、転換が進む」
それが日本の現状なのかもしれない。
「もちろん、溢(あふ)れかえっている、
ネット上のコンテンツを見ると、
危惧ばかりが大きくなることに、
変わりはないのだが」
これは実感できる。
月刊商人舎も、
紙の雑誌と網のwebサイトを、
両方やっている。
紙の雑誌は創刊以来、
トップマネジメントを対象にしている。
これは必然的に読者が高齢化してくる。
一方、網のwebサイトも、
商人舎流通Supernewsなど絶好調だが、
こちらは異なる読者層だ。
2極分化が進んで、
巨大メディアはその2極に対応する。
あるいはどちらかに絞って、
ニッチャーに徹する。
考えねばならない。
それでもどちらにも、
「記者ハンドブック」は必須です。
結城義晴の[毎日更新宣言]は、
どちらの世代にも読まれているけれど、
しかし高齢化しているんだろうなあ。
[ほぼ日]の糸井重里さん。
「じぶんがいつも
ちゃんとしていると思っている人は、
それだけでは済ませられずに、
他のちゃんとしてない人を
見つけては責めたがります」
いるいる。
「じぶんがいつも
我慢していると思っている人は、
なにかを我慢していない人を見ると、
そんなことじゃダメだと
文句を言いたくなります」
これもいる。
「じぶんが謙遜に
地味にしていると思っている人は、
言いたいことを言ってる人や
派手な人のことを、
あんなことでいいのだろうかと
疑問視しがちです」
わかる。
「じぶんが正直者であって、
そのせいで損をしていると思っている人は
損をしていない人のことを
不正直者だと思ったりします」
以て自戒とすべし。
「じぶんのやっていること、
じぶんの思っていることを、
じぶんだけのこととして
やっているのならいいのですが、
人は、どうしても、
じぶんのようでない人を
責めます」
再び、自戒。
「責めたり、裁いたり、
懲らしめたりしたがります」
「じぶんのようでない人が
元気で勢いよく生きていると、
じぶんが生きづらくなると
思うのかもしれません」
そこで糸井の鋭い分析。
「たいていの対立は、
“あんたの幸福は、わたしの不幸”
ということを動機にしているようです」
「”あんたが元気だと、
わたしは生きにくい”
と思ってしまうと、
相手の力を弱めたくなる」
どんな会社の中にもある。
ジェラシーのようなもの。
「ほんとは、
人の社会もひとつの生態系だから、
どれかの生きものが元気だというだけで、
別のどれかの生きものが
滅びるというような
単純なものじゃないと思うんですけどねー」
そこでいつもの糸井の結論。
「おおざっぱに言えば、
他人のことを考えなくても、
“おれは、こうしている”
でいいじゃんってこと、
たくさんあると思うのです」
そうです。
「じぶんのことよりも、
とにかく他人にばかり目をやって
“けしからん”と責め立てているというのは、
だれも(結局はじぶんも)、
よろこべないことです」
「まずは、
“わたしはなにがしたいんだろう”
ですよね〜」
同感。
付け足しのひとこと。
「老人になったら、
気をつけていたいのは
こういうことかも」
それがボトルネックにならない秘訣です。
私は何がしたいんだろう。
あなたは何がしたいんだろう。
「それぞれのドラッカー」ですよ。
「人生のポジショニング戦略」ですよ。
〈結城義晴〉