1909年、米国ワシントン州スポケーン。
あるご婦人がプロテスタント牧師協会に懇願した。
ソノラ・スマート・ドッド夫人。
ドット夫人は父子家庭の末娘として育った。
男手一つで育ててくれた父に感謝し、
協会で礼拝をお願いしたい。
父は南北戦争に従軍した北軍の元軍人、
ウィリアム・ジャクソン・スマート氏。
その前の年にアメリカで、
「母の日」が始まっていた。
母のいない父子家庭。
「父の日」が、
あってもいいのではないか。
それがドット夫人の考えだった。
その礼拝は実現し、
スマート氏の誕生月6月に行われた。
7年後の1916年、
ウイルソン第28代合衆国大統領が、
スポケーンを訪れて、
「父の日」の演説をした。
そしてアメリカでは、
軍人に感謝する意味も込めて、
「父の日」が祝われるようになった。
1926年、National father’s Day Committeeが、
ニューヨークに本部を置いて誕生し、
組織的に活動し始めた。
戦後の1972年(昭和47年)、
正式にアメリカの国民の祝日となった。
「父親を尊敬し、称え祝う日」
すべてのアメリカ人の感覚の背景には、
南北戦争の軍人の姿がある。
それがアメリカの「父の日」。
その意味では日本の父も、
父の日には「闘う人」でなければいけない?
その父の日を取り上げた新聞コラムが、
全国紙・地方紙を見渡して3つ。
第1は日経新聞の「春秋」
漫画家の東海林さだお。
「デパ地下」が大好きなひとだ。
「毎日通っても、ここなら
飽きるということはない。
なんなら、ここに布団を敷いて
住みこんでもいい」
コラムニストは述懐する。
「日本全国、いや世界中から逸品、
旬の味覚が集まる”食の宮殿”だ」
食事制限している現在の私には、
ちょっと敬遠すべき場所だが。
このデパ地下には旬の商品や初物が、
これでもかと並ぶ。
サクランボの佐藤錦、
北海道産のアスパラガス、
「初夏サンマ」の初物は北海道産。
「夕げに、寿命が延びる初物と、
生ビールを所望するお父さんも
おられよう。
きょうは父の日である」
軍人の父を尊敬する気配はない。
第2に西日本新聞の巻頭コラム、
こちらも「春秋」。
「イクメン」は育児に積極的な男性を指す。
国連児童基金は「ユニセフ」。
そのユニセフの41カ国調査。
子育て支援のために取得できる有給休暇。
期間は日本が最も長かった。
「ただし、実際に取得する父親は
非常に少ない」
コラムニスト。
「制度はあっても、それを受け入れる
社会の環境が整っていないからだ」
「世のお父さんたち、
日頃の自分を顧みて、
家族に敬愛されているという自信は
おありだろうか」
「父の日」と子育てする「イクメン」。
スマート氏のことを思わねばならない。
第3は北國新聞「時鐘」。
「どこの馬の骨か分からん者に、
娘をやれるか!」
よくある父の気持ちを表した言葉。
小津安二郎監督「花嫁の父」
昭和20年代の映画。
「名作に登場する上品な父親たちも、
“お前なんかに、お父さんと呼ばれる
筋合いはない!”と
叫びたかったに違いない」
「きょうは父の日。
かつての”馬の骨”は
深く思うのである。
よくがまんしてくれたものだと」
コラムニストの自虐ネタ。
どうも、父の日に関するコラムには、
深みがない。
それが父の存在感を表している。
しかし父の日の起源は、
「元軍人」で男手一つで育てた父。
父であり母である存在。
それを思う。
キリスト教はマリア様の宗教。
常に「母」が世界の中心にあるのだ。
今日の私は、静養に努めた。
「だらだら結城義晴」
そして夕方、娘と乾杯。
息子と娘に贈られた父の日プレゼント。
ウォッチエース。
ゴルフで「距離」を教えてくれるナビ。
しかし、父と母に感謝。
ジジにも感謝しておこう。
ジジの父はジンジャー。
子より、長生きしている。
父より長く生きることが、
父に対する感謝の態度なのだよ。
ジジ君。
〈結城義晴〉