南九州の大雨は3年連続。
一昨2017年の九州北部豪雨、
昨2018年の西日本豪雨。
そして今年と3年連続となった。
鹿児島や熊本などは、
大雨特別警報のレベル5を発令する気配だ。
いずれも「梅雨末期」の気象現象だ。
居座る梅雨前線に湿った南西風が吹き込む。
その吹き込む南西風も、
地球温暖化の影響だろうか。
ドナルド・トランプは反論するけれど。
尋常なものではない。
ヨーロッパ大陸にも、
アフリカからの強烈な熱波が押し寄せて、
連日、40度をはるかに超す日々が続く。
ミラノやパリでは、
アフリカの砂漠にいるような酷暑の日々。
それでもミラノは良かったな。
アルプスの山頂でも8度を超す気温である。
アフリカの熱風は、
ユーラシア大陸の西端のヨーロッパを襲い、
全く違った風土に変えてしまうかもしれない。
それでもミラノは良かった。
そのヨーロッパにいるのが、
鈴木幸一さん。
㈱インターネットイニシアティブ会長。
日経新聞電子版の「経営者ブログ」
鈴木さんは先週金曜日から、
唯一、涼しい島国のロンドンにいる。
日本での大阪サミットの様子が、
ロンドンでも繰り返し報道された。
しかし米中問題に限らず、
2019のG20 に対する見方は、
「どこかしら希薄な危機感をもったまま、
解を見いだせずに、終わるのだろう、
という受けとめ方のようだ」
「解はなくとも、
各国の首脳が顔を合わせて、
お互いの存在を確認し続けるのは、
大きな危機を招かないためにも
重要なことであると、
冷静に割り切っているようだ」
歴史上、揶揄されることの多いのが、
1814年9月から開催されたウィーン会議だ。
「会議は踊る、されど進まず」
フランス革命とナポレオン戦争終結後、
ヨーロッパの秩序再建を目的として開かれた。
しかし領土分割に関して利害が衝突して、
数カ月を経過しても、
遅々として進まず、だった。
それでも最近は「ウィーン会議」に、
それなりの効用があったとする見解もある。
今回の大阪サミットも、
「各国の首脳が顔を合わせて、
お互いの存在を確認し続ける」
という意義はあるのだろう。
その大阪サミットの前日に、
ロシアのプーチン大統領の発言。
「自由主義はもはや、
イデオロギーとしての力を
失った」
モスクワのロシア大統領府クレムリン。
フィナンシャルタイムズ紙の単独取材。
1945年の第2次世界大戦終結以来、
西側のイデオロギーの柱となってきたのが、
「自由主義」の考え方だ。
しかし。
アメリカのトランプ米大統領、
ハンガリーのオルバン首相、
イタリアのサルビーニ副首相など、
反エスタブリッシュメントの指導者が、
次々に台頭した。
エスタブリッシュメントとは、
社会的に確立した体制・制度、
それを代表する支配階級や既存勢力のこと。
プーチン大統領。
「これまでの数十年と違って、
リベラル派は誰に対しても、
何についても、
影響力を及ぼせなくなった」
ドイツのメルケル首相は、
100万人以上の難民受け入れの決断をした。
プーチン大統領は、
「根本的な間違いだった」と評した。
しかし米国トランプ大統領は称賛する。
「メキシコからの移民と麻薬の流入を、
食い止めようとしている」
つまりはトランプと同類。
プーチン自身が、
反エスタブリッシュメントなのだ。
「自由主義の思想は、
何もする必要はないという
前提に立っている」
「移民たちは、
殺人や略奪、レイプをしても、
野放しにされている。
それというのも、
移民としての権利が、
守られなければならない
とされているからだ」
「犯罪は全て罰せられなければならない。
自由主義の思想はもう時代遅れだ」
「圧倒的大多数の人々の利益と
衝突するようになっている」
クレムリンでの発言だけに、
安心して、まくし立てている。
しかしプーチンは、
クリミアを併合し、
ウクライナ東部での反乱を指揮し、
シリアへの軍事介入をしている。
フィナンシャルタイムズ。
「数千人のイスラム過激派を殺害して、
シリアのアサド政権を支えた」
「7年におよぶシリアの内戦は、
500万人超の難民と、
50万人の死者を出している」
これには何も触れず、
「自由主義の政府は、
市民を安心させるための行動を取らず、
やみくもに多文化主義を追い求めて、
性的多様性などを受け入れた」
ロシアの元二重スパイの暗殺未遂事件。
2018年3月に、
英国南部ソールズベリーで起きた。
名前はセルゲイ・スクリパリ。
英国は守ろうとした。
ロシアは殺そうとした。
それ以来、英ロ関係は、
極度に冷え込んでいる。
だからイギリスに対しては、
手厳しい物言いをする。
プーチン大統領。
「反逆は最も重大な罪であり、
反逆者は罰せられなければならない。
反逆者は罰せられなければならない」
繰り返して強調した。
「ほぼ日刊イトイ新聞」
糸井重里の「今日のダーリン」
昨日のエッセイ。
「いろんな罪に対して、
罰というものがあります」
「罪と罰」を糸井流に語る。
「罪を犯したこと自体が罰である、
というような考えも、
あるにはありますが、
やはり罪には罰が追いかけます」
これはドストエフスキーだ。
「その罰のなかに、
自由を奪い取るという刑があります」
「いや、近代では、
死やら痛みやらをともなう刑は、
ほとんどなくなっているから、
ほとんどの刑罰は、
自由を制限するものでしょう」
ロシアでは、そうではないようだ。
「刑務所に暮らして、
決められた労働をしなさい」
この懲役が基本的な刑。
しかし。
「雨露しのげる屋根も壁も
ある場所で寝起きして、
食事も、選べないけれど、
三度々々いただけて、
入浴も最低限だけれどできて、
作業義務という労働も、
辛いことをさせられて
懲らしめられるわけじゃない」
「だとしたら、刑務所の外にいる人と、
ほとんど同じとも言えそうじゃないですか」
ここで私、噴き出した。
「シャバと呼ばれる外の世界とのちがいは、
どこかに出かけたり、
好きなものを食べたり、遊んだり、
というような自由が
制限されているということだけ」
妙に納得。
「”だけ”とあえて書いたけれど、
その”だけ”が、
どれほどつらいものなのか、
ということですよね」
「仕事が忙しくて、
食べものだって選んでられなくて、
移動は家と仕事場の往復だけで、
なにかして遊んでる
という実感もない…なんて人、
刑務所の外だって、
けっこういると思うんです」
再び、納得。
だから私は、ゴルフしたい。
「でも、外の人は”遊ぶぞ”とか
“うまいもの食うぞ”とか
“できるけれどしてない”んですね」
「あ、あと、
会いたい人に会うというのも重要だな」
同感、同感。
「つまり、人間が罰を受けるというのは、
“自由”でなくさせられること、なんです」
「そう、それだけ」
「”自由”というものが、
意識しない空気みたいにあって、
それを当たり前のように
呼吸して生きているって、
すごいことなんだよなぁと、
思うんですよ」
日本は自由だ。
「新しい場所に行き、
新しい人に会い、
こころを通わせる」
それから、
好きな店に行って、
好きなものを買う。
好きなものを食べる。
これは結城義晴として、
ぜひ付け加えたい。
「こういうことが、
きみもぼくも、
いつでもできる」
小売りサービス業の意義です。
「刑務所にいたら、
そういうことに憧れるだろうなぁ」
想像だけれど同感。
「ほんとに嫌なことなら逃げ出せる。
これが自由の定義かも」
やはり「自由主義」は、
破綻してはいけない。
国家はそれを、
保障しなければならない。
国民は力を合わせて、
それを堅守しなければならない。
自分の命を奪われてしまったら、
嫌なことからさえ逃げ出せない。
同じ年だけれど、
プーチンは間違っている。
〈結城義晴〉