第25回参議院議員選挙。
選挙に行こう!
投票しよう!
小売業・サービス業に従事する人は、
明日の日曜日の投票日に、
店を開けて、仕事する。
だから投票に行きにくい。
しかしそんな多くの人たちが投票したら、
世の中は変わる。
私はいつも、そう考える。
だから小売りサービス業の人々に訴える。
選挙に行こう!
投票しよう!
そのために選挙に関心をもとう。
選挙結果に、執着しよう。
ポリティカル・マーチャントになろう。
政治的な商人。
インド独立の父マハトマ・ガンジー。
「未来は我々が今、
何をなすかにかかっている」
ニュースキャスターの池上彰さん、
テレビの番組で語っていた。
若い女性が言う。
「だれに投票したらいいか、
わかんな~い」
「ならば消去法です」
その通り。
消去法で、
「これは論外、この人はダメ」と、
消していって、
最後に残った誰かに入れる。
「これを繰り返せば、
少しずつ良くなっていく」
選挙も仕事と同じです。
すぐに効果が出ることなど、
ほとんどない。
ひとつずつ、
すこしずつ、
いっぽずつ。
投票すること自体が、
自分を磨くことだ。
ひとつずつ、
すこしずつ、
いっぽずつ。
国を磨き、
会社を磨き、
店を磨き、
商品を磨き、
そして自分を磨こう。
夕方、暗くなって、
東横線の大倉山駅。
高架線路の下に東急ストアがある。
大倉山商店街も、
どんどん変わっていく。
昔ながらの地元の店が姿を消し、
おなじみのチェーン店の店が増える。
スターバックスや魚民、
まいばすけっとが出た。
そしてこのポスター掲示板。
期日前投票は、
港北区総合庁舎で。
看板が出ている。
そして夜間入り口。
久しぶりに、選挙にGo!の、
Go! Go! ポーズ。
期日前投票3階。
ここを曲がった部屋。
結構、続々と投票に来る。
期日前投票が普及してきた。
本当にいいことだ。
投票は「消去法」。
今回の参議院選挙は、
特に「消去法」。
「ほぼ日刊イトイ新聞」
糸井重里の巻頭エッセー。
「今日のダーリン」
「あなたがするようには、
わたしはしない。」
「行きたい先は同じだとしても、
あなたのような方法では、行かない」
こういうことがいくらでもある。
「わたしがするようには、
あなたはしない。」
これもある。
「やりたいことが同じだとしても、
わたしのような方法では、
あなたはしない」
「行き方、やり方、というのは、
目的と同じように
とても大事なことだと思う」
同感だ。
「店は客のためにある」――
そのことは同じでも、
どのように客のためにあるか、
それをどのように達成するか、
これは様々だ。
チェーンストア産業をつくる。
目的は同じでも、
どんなチェーンストアか、
どのようにつくるか、
それは様々だ。
そこで糸井の問題提起。
「目的のためには
手段は選ばなくていいのか?」
「目的と手段のこと」
「いまごろになって、
こう言ってもいいのではないかと
思うようになった」
「手段は目的に含まれている、よ」と。
鋭い。
「たとえば、崇高な目的のために
汚い手段を使うとしたら、
その目的は崇高でもなんでもなく、
汚いのではないか」
正義感。
「たくさんの嘘をついて、
相手の”悪”を倒すという人は、
倒した後にも、だれにでも
嘘をつき続けるのではないか」
「きっと、そうは言いきれない場合も
あるのだろう。
見方によっては、
やむえない例外もあるのだろう。
そう思う人がいるかぎり、
そう言わざるを得ない」
「きっと歴史は、そうやって、
繰り返されてきたのだから」
「でもね、ぼくは
“手段は目的に含まれている”と、
そう思ってこの先も生きることにする」
「MEチェーン」という考え方がある。
故細谷泰雄先生の持論。
MはMeans、
EはEnd。
Mは原因、Eは結果。
Mは手段、Eは目的。
MとEは鎖のようにつながっていく。
MがEのもととなり、
またそのEがMとなって、
次のEを導く。
ヘーゲルの弁証法も、
この考え方を展開したものだ。
糸井重里が言うことも同じ。
「手段は目的に含まれている」
MはEに包含されている。
糸井。
「”あなたがするようには、
わたしはしない。”ということは、
実はけっこうたくさんあると思うのだ」
同感。
「だってね、ちがうんだもの、
あなたとわたしはね」
「同じでないあなたとわたしが、
共にいられますように」
選挙で投票する行為は、
違うあなたを選ぶことだ。
スターのファンでいることとは、
その意味で全く違う。
誰かを選ばなければならない。
今の時点で、ベターだと思う誰かを。
糸井の最後の述懐。
「あいつ、いなければいいのに
と思うことも、ありますとも!」
選挙に行こう!
投票しよう!
〈結城義晴〉