8月の最後の日。
明日は9月1日。
夏が終わる。
今日の土曜日は、
横浜商人舎オフィス。
原稿の執筆。
小学生のころから、
高校2年生まで、
8月最後の日は、
追い詰められて、
夏休みの宿題に没頭した。
深夜になると、
虫の声に秋を感じさせられた。
振り返ってみると11年間だった。
高校3年のときには、
大学受験を控えていたから、
夏の宿題はなかったと思う。
それから50年ほどが経過した。
つまり半世紀。
夏休み明けとその前後は、
18歳以下の人たちの自殺が最も多い。
政府統計が示す。
原因は宿題などではなく、
いじめだという。
徳島新聞の一面コラム。
「鳴潮」8月29日版。
コラムは子どもたちに呼びかける。
「アラビアの砂漠に、
こんなことわざがあるそうだ」
「生きていることが
無意味だと分かったときは、
死んでしまうか、旅にでも出ることだ」
コラムニスト。
「どちらか、となれば、
どうせいつか死ぬのだから
急ぐことはない。
ここは旅に出ちゃいましょう」
同感だ。
「外出を好まない?
ならば旅を一つの比喩と考えて、
海よりも広い、それは空、
空よりも広い、それは、
という心の中を旅してみよう」
「お勧めしたい。
死にたいぐらい苦しいのなら、
とっとと逃げちゃいな。
大体、いじめる方がおかしいのである。
そんな学校に行くことはない。
ほんとだよ」
「人生、なるようになる。
これは、頑張るな、
と言っているわけじゃない。
たまには回り道もいいじゃない。
そっちが本道なのかもしれないよ。
生きていることが、
本当に無意味かどうか分かるまでは、
生きてなきゃ」
「絶対、死ぬな」
日経新聞巻頭コラム、
「春秋」
イントロは橋本夏子の句。
夏期休暇果つ子きりりと髪結ぶ
「久々の登校に備え、髪をまとめる少女。
ひと夏を経て少し成長したかしら。
慈母のまなざしである。
どこにでもある風景だ。
でも、そんな家庭は本当に幸せだ」
近年の「休暇明け」は、
子どもの自殺が多い「特異日」。
4年前のこの時期、
図書館司書のツイートに、
共感の輪が広がった。
「学校が始まるのが死ぬほどつらい子は、
学校を休んで図書館へいらっしゃい」
図書館はいい。
学校は生徒と先生、生徒と生徒が、
交わるところ。
しかし図書館は、
一人で本と向かい合うところ。
一人で何かと向かい合うところに、
居ればいい。
コラムは『こども六法』を紹介する。
山崎聡一郎さんがこの8月20に上梓した。
小学生時代にいじめを体験した、
若き教育研究者。
写真家、俳優。
この本の主張。
「いじめや虐待は犯罪です。
人を殴ったり蹴ったり、
お金や持ち物を奪ったり、
SNSにひどい悪口を書き込んだりすれば、
大人であれば警察に捕まって
罰を受けます。
それは法律という社会のルールによって
決められていることです」
「けれど、子どもは法律を知りません。
誰か大人が気づいて助けてくれるまで、
たった一人で犯罪被害に苦しんでいます」
目次。
第1章 刑法
第2章 刑事訴訟法
第3章 少年法
第4章 民法
第5章 民事訴訟法
第6章 日本国憲法
第7章 いじめ防止対策推進法
いじめで悩んでいるきみに
大人も読んでみよう。
商人も読んでみよう。
春秋のコラムニスト。
「国は”道徳”を教科に格上げして、
いじめ対策とした」
「が、その効果は疑わしい」
その通り。
「こども六法」のお勉強のほうが、
いじめや自殺を撲滅するには効果がある。
いじめ対策や子どもの自殺対策に、
道徳を教育する。
ストレートな考え方だが、
まったく、絶対、成果は上がらない。
子どものときから法律を学ばせる。
それがいじめや自殺対策となる。
中国国家主席の習近平。
最近の習はいただけないが、
その物事のとらえ方は並みではない。
若いころ福建省の総書記だった。
このとき、福建省の農業と水産業を、
振興させ、隆盛させるために、
あることを行った。
近代化された商業を興すこと。
そこで生まれたのが、
「永輝超市」である。
農業・水産業を盛んにするために、
それらに補助金を施すのが、
日本の政治家や官僚の発想だ。
これはいじめや自殺に、
道徳を教えることと同じだ。
農業・水産業を発展させるために、
繁盛するスーパーマーケットをつくる。
トランプや安倍晋三が相手にしているのは
この思考回路を持つ男だ。
こういったものの考え方は、
商業のマネジメントにも必須だ。
売上げを上げるために、
何をするか。
利益を上げるために、
何をするか。
売上げや利益に、
直結する手を打つことではない。
退職者が増えることには、
何をどうして対処するのか。
ここに知恵を使いたい。
そのためにブレーズ・パスカルの「パンセ」。
「人間というのは概して
自分の頭で
見つけた理由のほうが
他人の頭の中で
発見された理由よりも
深く納得するものだ」
(断章十)
ああ、夏が終わる。
〈結城義晴〉