2019年台風19号。
アメリカのメディアは、
「Monster」と表現している。
芭蕉野分
盥に雨を聞く夜かな
江戸の昔は「野分」(のわき)と言った。
台風の夜、粗末な庵には雨漏りがして、
盥(たらい)でそれを受けている。
芭蕉はその雨音を聞いている。
それでもまだ余裕のある台風だ。
明治に入って、正岡子規が詠んだ。
ばさりばさり芭蕉野分に驚かず
そして子規も大きな台風を経験した。
この野分さらにやむべくもなかりけり
しかし今年の、この台風19号。
記録にないほどのスケールだ。
気象庁の梶原靖司予報課長。
今日の16時半からの記者会見で、
冷静に呼びかけた。
「特別警報を発表した市町村では
これまでに経験したことのないような
大雨となっています」
箱根町では48時間に、
1000mmを超える降雨。
「土砂崩れや浸水による何らかの災害が
すでに発生している可能性が極めて高く、
直ちに命を守るために
最善を尽くす必要のある
警戒レベル5に相当する状況です」
「直ちに命を守る」
梶原さんは何度も繰り返した。
「あらかじめ指定された避難場所に
向かうことにこだわらず、
川や崖から少しでも離れた
近くの頑丈な建物の上の階に避難するなど
安全を確保することが重要です」
「命を守る行動」
この呼びかけは的確だ。
ジョンFケネディの消費者の権利。
「コンシューマー・ドクトリン」
1962年3月15日。
アメリカ合衆国大統領びケネディが、
合衆国連邦議会に対して、
「4つの権利」を守ることを誓った。
①安全である権利
②知らされる権利
③選択できる権利
④意見を聞き遂げられる権利
その後、世界消費者機構は、
ケネディの考え方に、
さらに4つの権利を加えた。
①消費生活における基本的な需要が満たされる権利
②健全な生活環境が確保される権利
③安全が確保される権利
④選択の機会が確保される権利
⑤必要な情報が提供される権利
⑥消費者教育の機会が提供される権利
⑦消費者の意見が消費者政策に反映される権利
⑧被害者が適切かつ迅速に救済される権利
日本では1968年に、
「消費者保護法」が制定された。
それが2004年、小泉純一郎政権のとき、
「消費者基本法」と改定され、
上記の8つの項目が、
「消費者の権利」として明記された。
③の安全である権利。
⑧の被害者が適切かつ迅速に救済される権利。
今回も適用される法律だ。
小売サービス業も、
その権利を守ることに貢献してほしい。
社会インフラであることを示してほしい。
頑張ってほしい。
ただし小売産業に従事する人たち自身も、
安全の権利と救済の権利を有する。
それも忘れてはならない。
「ほぼ日」の糸井重里。
「今日のダーリン」に書いている。
「”死ぬ”は品詞としては動詞である」
「”遊ぶ”や”動く”も動詞であるけれど、
“死ぬ”が動詞であることは、
そういうのとはなんだかちがう気がする」
「”終わる”も動詞なのだけれど、
これは”死ぬ”に似たようなものに思える」
英語には「自動詞」と「他動詞」がある。
自動詞は目的語を必要としない動詞。
他動詞は目的語を必要とする動詞。
しかし糸井さんの言うことは、
それとは違う。
ちなみに「死ぬ」の英語”die”には、
自動詞と他動詞の両方の機能がある。
ややこしい。
「”生きる”も動詞である。
“生きる”は”死ぬ”がないと成立しない。
もちろん”死ぬ”も”生きる”のおかげである」
巨大な台風の下で糸井は、
「死ぬ」と「生きる」とを感じ取る。
「こんなにたくさんの
“死ぬ”を思うということは、
じぶんがそっちに
近づいているからだろうと思う」
私も同じような年になった。
「こどものころも”死ぬ”の謎について
ずいぶんたくさん
考えたような記憶があるけれど、
ほんとうに”死ぬ”に近づいてくると、
それは謎でもなんでもなくなって、
空や大地や水や
夜のようなものに
なってくる」
「”死ぬ”のはいやだとか思うのは、
じぶんが死なないかもしれないと
考えているからかな」
「いつかは、だれでも、
絶対に”死ぬ”のに、
“いや”も”いい”も
ないのではなかろうか」
「それをなんとか
できるわけじゃないという意味で、
空を大地や水や夜を、
いいのわるいの言えないだろうに」
空や大地や水や夜と、死。
「好きな人たちが”死ぬ”のは、
わたしの世界がすこし小さくなることだ」
その通りだと思う。
「それは、わたしが
“死ぬ”に近づいていることだ」
同感。
「史上最大というような
肩書をつけた大嵐が、
みんなの注目を浴びているときに、
塵や埃のように
小さなひとりずつの生や死が、
たったひとつの史上最大として
点滅している」
「塵や埃や、あなたやわたしは、
たがいに”おーい”と
呼びかけあっているという意味で、
宇宙そのものの一部分である」
「命を守る行動」も、
「安全である権利」も、
「救済される権利」も、
「おーい」も、
宇宙の一部分である。
句を詠むことも、
呼びかけることも、
宇宙の一部分である。
「書かれた文字は
忘れられることや消えることはあっても
この文字があったという事実は
消えることができない」
そう、何かをしたという事実は、
消えることがない。
「あらゆるものあらゆることばは、
宇宙にたまっていくだけ」
それでも生きられるだけ、
生きるし、命を守る。
それが人間社会だし、
人間そのものだ。
〈結城義晴〉