11月に入って、
昨日が文化の日の振り替え休日。
そして今日は月刊商人舎の最終入稿日。
原稿を仕上げて、
タイトルをつけ、
写真や資料を添えて、
デザイナーの七海真理さんに送る。
すると1時間か2時間後には、
それがデジタルデザインとして出来上がって、
送り返されてくる。
そのデザインをコピー機で印刷して、
そのゲラを校正する。
かつてはデザイナーが、
編集部にやって来て、
手書き原稿や写真・資料を受け渡しして、
電車や車に乗って自社に帰り、
レイアウト用紙にデザインして、
翌日持ってきて納入した。
それをチェックして、
よろしければ今度は印刷所に渡す。
印刷屋の営業マンがやって来て、
それをもって印刷工場に帰り、
印刷の原版をつくって、
ゲラ刷りにし、
それをまた編集部に持ってきた。
そのゲラを校正して、
翌日に返した。
最終段階になると、
編集部全員が印刷工場に2日ほど詰めて、
集中的に全頁の校正をした。
これを「出張校正」と呼んだ。
全員が2日ほど同じ部屋で缶詰めになる。
それがコミュニケーションを生んだ。
そこで雑談のように情報交換する。
その情報が業界最先端の内容で、
新人のころから中堅の段階まで、
とても勉強になった。
二人とも死んでしまったが、
緒方知行さんや高橋栄松さんは、
『販売革新』誌の編集長だった。
1963年創刊の初代編集長は、
故倉本初夫主幹。
二代目が緒方さん。
そして三代目が高橋さん。
出張校正の後は必ず、
酒場に行って飲む。
といっても緒方さんと高橋さんは下戸で、
したがって五十嵐宅雄さん、
伊東清さん、高濱則行さんと、
いつもいつも飲んだ。
その後、全員が編集長になった。
五十嵐さんは雑誌商業界編集長、
伊東さんは販売革新と商業界の編集長。
高濱さんは緒方さんと一緒に、
㈱2020EIMという会社をつくって、
その初代編集長になった。
私は20代だった。
私が最後まで㈱商業界に残った。
編集長や取締役編集統括、
専務取締役、代表取締役社長となった。
椎名誠さんの小説。
『新橋烏森口青春篇』
そして『銀座のカラス』
同じような場面の描写が次々に出てくる。
私は「そうだ、そうだ」とうなづきながら、
むさぼり読んだ。
椎名さんは、
『ストアーズ・レポート』誌の編集長で、
百貨店を対象に取材し、
記事を書き、編集していた。
そして我々と同じ印刷所を使っていた。
茗荷谷の東洋社印刷。
まったく別のライバル会社だったが、
毎月、「ストアーズ」と入れ替わるように、
出張校正をした。
ちなみに椎名さんは、
ユニークで優秀な編集長だった。
㈱商業界は椎名さんをスカウトして、
基幹雑誌商業界の編集長にしようとした。
椎名さんもその気になっていたが、
最後の最後に、ストアーズを辞めて、
作家になる決意をする。
そこで椎名誠の人生は変わった。
もしかしたら私の上司になっていた。
そうはならなかった。
ずっと後になって、
椎名さんに商業界2月ゼミナールで、
基調講演をしてもらった。
その講演の冒頭で、自分で告白した。
「商業界からスカウトされかかっていた」
今は最終入稿と最終校正を、
商人舎オフィスで同じ日に、
1時間もタイムラグをおかずに、
済ますことができる。
デジタル化が仕事をスピーディに変えた。
デザイナーや印刷所も、
行ったり来たりせずに、
データで交換する。
だから今日は忙しい。
商人舎の亀谷しづえと鈴木綾子。
すみません。
私の原稿が遅かったので、
仕事もギリギリになってしまった。
しかし次の号は、
「トップマネジメント発言集」
ほとんどの記事に、
【結城義晴の述懐】を書いた。
それが遅れた理由の一つでもあります。
それでも今月号も、何とか終わった。
今号は通巻79号。
2013年4月号がプレ創刊号の0号で、
1号は2013年5月号。
よくやってると、自分でも思う。
雑誌づくりは、
新入社員の1977年4月から始めて、
42年間。
その間、6年ほどブランクがあった。
㈱商人舎を設立して、
立教大学大学院の教授などに就任し、
5年間、講義とゼミを受け持った。
教員の仕事も忙しかった。
その教授職退任とつなぎ合わせるように、
月刊商人舎を創刊した。
亡くなった宿澤広朗。
早稲田大学ラグビー部の主将として活躍し、
日本代表の名スクラムハーフとなった。
その後、住友銀行に入り、
ディーラーとして頭角を現し、
最後は三井住友銀行の専務取締役。
ラグビーでは日本代表監督を務め、
1989年に初めて、
ティア1のスコットランドに勝利した。
現在の日本ラグビーの礎をつくった男。
2006年6月17日に、
登山中の心筋梗塞で急逝。
55歳だった。
その宿澤の言葉が、
「全力疾走をやめたら、失速する」
同感だ。
だから私も全力疾走をやめない。
その全力疾走の一番新しいものが、
月刊商人舎2019年11月号。
今月号の特集タイトルは、
私の雑誌づくりのなかでも、
初めてといっていい、
ちょっとした新しい試みをしました。
ご期待ください。
〈結城義晴〉