12月に入った。
師走。師も走る。
あっちもこっちも、
モミの木とクリスマスソング。
「ほぼ日」の糸井重里さん。
巻頭エッセイは「今日のダーリン」
「その場にいない仲間のことを、
こころから尊敬しているようすで、
気持ちよさそうに
ほめている人たちに会った。
耳に気持ちのいいことばが、
あたりを輝かせた」
素晴らしい人たちだ。
「いない人のことをわるく言うのは、
陰口と言って、
これはみんなやっている。
テレビのいろんな番組のなかで、
かなりの分量の時間が、
その場にいない人の”陰口”に
費やされている」
政治の世界なども、
陰口でできあがっているし、
官僚化した大企業病の会社なども、
陰口が蔓延している。
「しかし、”陰口”の逆は
なんというのだろう」
糸井重里の真骨頂。
みなさんも、この発想を時々使うといい。
大学の先生やコンサルタントも、
「逆に言えば、こうなる」と使う。
私も。
「その人のいないところで、
その人のいいところを言う。
言って、聞いて、
共感しあって盛りあがる」
「こういう場面に、
昨日、ぼくはいた。
言われている人のことも、
大好きになったし、
言ってる人たちのことも、
こころから好きになった」
私たちもときどき、
「陰口」の反対のことを言い合う。
大抵は亡くなった人だが、
そうではない人も多い。
故上野光平さん。
西友を実質的に創業した経営者。
そして流通産業研究所所長・理事長。
西友のOBの人たちと会うと、
いつも上野光平さんの話になって、
上野さんのいいことを言い合う。
それ以外にも、
荒井伸也さん、加藤勝正さん、
高木和成さん。
会うと、いつも、
上野さんの話で盛り上がる。
堤清二さんは、
セゾンのオーナーだった。
上野さんの2つ年下だった。
しかし堤さんはオーナーだから、
先輩の上野さんを招聘して、
西友をつくらせた。
集まって堤さんの話をするとき、
「崇拝」の念は出てくるが、
逆に悪いことに関する発言も多い。
しかし上野さんに関しては、
絶対に「陰口」はでない。
不思議だ。
そして上野さんの話をしていると、
みんな、幸せになる。
その上野さんの「だからの論理」
「人間は
“自分を一番よく知っているのは自分だ”
と思っている。
しかし、その逆のことが多い。
“あなたをよく知っていないのは
あなたですよ”
こう言ってやらねばならないことが
非常に多い」
上野さんは書いていた。
「自分を客観的に見ることは、難しい。
いわゆる”自己誤解”。
これは、自分の行動を、
自分以外の他のものに
原因づける論理によって生じる」
これを「だからの論理」という。
「すべてを”……だから”で説明して、
自分自身を納得させ、ごまかし、
本当の自分の願いを分からなくさせ、
幸せへの途を閉ざしてしまう」
「”だからの論理”による
自己欺瞞から自己を解放し、
自分の人間らしい幸福を
はっきりと見定めるためには、
“にもかかわらずの論理”が
唯一の武器だ」
そう、上野光平の、
「にも関わらずの論理」
「”だから”を
“にもかかわらず”に
置き換えてみよ」
上野さんは、こう問いかけた。
「景気が悪い。だから、
売上げが上がらない」
これを、置き換える。
「景気が悪い。
にもかかわらず」
すると「利益は確保できた」となる。
あるいは「客数は増えた」、
「お客様に喜んでいただいた」となる。
「だから」を、
「にもかかわらず」に置き換える。
するとそこには、
まったく新しい人間像が現れる。
「人間は、
“にもかかわらずの論理”によってのみ、
人間としての自分を
正しく理解できるのであり、
人間としての幸せを
得ることができるのです」
上野さんのいいことを思い出して、
幸せな日曜日。
そこで久しぶりに日曜日の、
Go! Go! ポーズ。
ローソンの駐車場。
愛車の前で。
12月を力いっぱい、
Go! Go! ポーズ。
上野さん、今日も、
ありがとうございました。
〈結城義晴〉