寒くなったり暖かくなったり。
冬季の現象を三寒四温と言うけれど、
いまや二寒三温や一寒二温の感じで変わる。
しかし「温暖化」していることは確かだ。
東京大学の木本昌秀教授が言う通り。
「頻発する極端気象」の中に、
私たちは生活している。
さて今日は午後から、
東京・清水橋。
伊藤園本社。
毎年4回くらい行われる、
伊藤園陳列コンテスト最終審査会。
始まってからもう十数年になる。
私はずっと審査委員長。
審査員が集まったら、
早速、選考に入る。
今回はお盆が終わってから、
消費税導入の直後までの期間、
全国の店舗に参加してもらって、
陳列コンテストが行われた。
売場は緊張に包まれていた。
その緊張感がプレゼンテーションに、
くっきりと表れていたといっていい。
今回は3つのコースが用意された。
お~いお茶コース、
創意工夫コース、
地域密着コース。
それぞれに5人の審査員が、
自分の判断で付箋を貼っていく。
全部終わったら、
推薦票の多い作品を集めて、
大賞(最優秀賞)と優秀賞を決めていく。
コースごとの最優秀賞は、
甲乙つけがたい場合もあれば、
全員一致で決まる場合もある。
その時の議論が面白い。
しかししっかり吟味して、
一番素晴らしい作品を選ぶ。
そして、決まりました。
楽しみにしてください。
あなたの会社が、
大賞をとったかもしれません。
偶然だが今回は、各コースとも、
私がよく知る企業が受賞した。
おめでとう。
コースごとの賞を決めたら、
最後に企業ごとの全体の力を表彰する、
「企業賞」の選考。
これも大賞と優秀賞。
そして全体の総括。
全審査員がコメントを述べて終わる。
10月の消費増税後、
安売り合戦、ポイント合戦が、
激しく展開されている。
しかし、だからこそ逆に、
プレゼンテーションは重要になる。
ヤオコーは、
「10月は既存店売上高が4.0%増、
11月も3.1%増と健闘した」
Discount競争は、
必ず同質化を促進させる。
そして同質化の中では、
規模が大きな者が勝つ。
これは必定の掟。
しかしコンテスト競争の今日、
それだけではいけない。
個性が必要だ。
現代化とは多様化である。
先月の石原靖曠先生との対談で、
このことは明らかにした。
その有力な武器のひとつが、
店舗におけるプレゼンテーションだ。
ヤオコーがそれを示している。
私はそんなことを強調して、
今後の奮起を喚起した。
すべてが終わってから、
雑誌掲載用の写真撮影。
真ん中が伊藤園社長の本庄大介さん、
その右が副社長の本庄周介さん、
そして営業本部副本部長の 唐沢進治さん。
私の左隣は竹下浩一郎君。
月刊食品商業編集長。
私が採用した新人も、
今や立派な編集長となった。
伊藤園専務の神谷茂さんと、
商人舎の松井康彦は欠席。
最後の最後に、
参加スタッフも交えて、
全員写真。
ブログ用です。
審査会が終了すると、
これも恒例行事となったが、
江島祥仁特別顧問の部屋を訪れて、
審査員全員で抹茶をいただく。
これも私の楽しみの一つだ。
江島さんも大変お元気で、
子会社の会長職などをいろいろ務めて、
伊藤園の重鎮として存在感を示す。
来年のことを語らい合って、
あっという間に時間は過ぎた。
そしてブログ用写真。
前列右が江島さん。
ありがとうございました。
さて、糸井重里さん。
1999年6月6日の創刊以来一日も休まず、
「ほぼ日刊イトイ新聞」のトップページに
書き続けている「今日のダーリン」。
この数日、「変わる」をテーマに書く。
どうしてだろうか、私、
糸井さんと同期し続けている。
「小さい変化を、
数多く重ねること」
これが趣旨。
吉本隆明さんが言った。
「どんなことでも、毎日欠かさずに
10年続けたらかならず一丁前になる」
マルコム・グラッドウェルも紹介した。
「ある分野で
プロのレベルで活躍するためには、
総計で1万時間の練習が必要である」
これも私、自分の経験で、
同じことを言い続けている。
一方、横尾忠則さん。
「ぼくは時間の分量よりも、
回数が重要だと思うよ」
糸井は読み解く。
「小さい変化を数多く重ねることだ!」
このほうが、総時間量で考えるよりも
「変わる=変化」の回数が多くなるのだ。
ここで糸井重里のコピー。
「喧嘩は買ってでもしろ」は、
だーめだーめ!
「変化は買ってでもしろ」こそが、
正解なんだよねー。
「ぼくはもう知ってしまったよ、
変化がすべてだ。
いいかい?
進化だって
変化だろう?」
「進歩も変化だ。
発展も変化だ。
成果も変化のおかげだ。
成長も変化だ。
驚きも変化だ。
うれしいと感じることも変化だ。
生まれるも変化だ。
申し訳ないけど死ぬも変化だ。
出会いも変化で、
別れも変化だ。
強くなるのも、おもしろくなるのも、
上手になるのも、おいしくなるのも、
金持ちになるのも、貧乏になるのも、
ネガティヴだと思われていることも含めて、
みんな変化!」
「生きていれば、変化する。
そして、それらの変化を
経験した人生になっていく」
「じぶんの変化が、
人を変化させたりもするし、
だれかの変化が、
じぶんを変化させもする」
だから、私は言い続ける。
自ら、変われ。
「ぼくらは、
変化しようとさえ思っていたら、
毎日のように、いくらでも
変化する可塑性を持っている」
「進歩も成長も、
“変化”のひとつの表現形態
ってことです」
来年も再来年も、
そして10年後も、
一生、変化です。
〈結城義晴〉