昨日から熱海。
100万ドルの夜景と言われたが、
本家は香港。そしてナポリ。
日本では函館や長崎。
熱海はヤオハンの創業の地。
現在はマックスバリュ東海㈱となって、
市内にマックスバリュの店がある。
㈱商業界の社長のころ、
二度ほどこの熱海で、
「二月ゼミナール」を開催したことがある。
なつかしい。
この熱海で年末の令和名人会。
今年から「名」を変えたゴルフ会。
前身は平成元年に始まった「迷人会」。
私が商業界食品商業編集長に就任した年、
つまり1989年の平成元年。
筆者や経営者の皆さんが集まって、
就任祝いを兼ねたゴルフコンペが開催された。
荒井伸也さんや杉山昭次郎先生が、
呼びかけ人となってくださった。
ありがたいことだ。
そのコンペが終わってから、
この会を続けていこうということになった。
小森勝さん。
浅香健一さん。
鈴木國朗さんが手を挙げてくれた。
切磋琢磨のゴルフをする会が始まった。
初めは2カ月に1回くらいやっていた。
そのうちにほぼ毎月になった。
2013年9月に小森勝さんが亡くなった。
そこで土井弘さんが参加してくれた。
そして浅香健一さんが引退した。
新谷千里さんが加わってくれた。
30年も経過する間に、
いつのまにか「迷う」が「名」に変わった。
「名」という漢字には、
ふたつの意味がある。
⑴姓名および通称。事物のよびな。
⑵評判。すぐれて名高い。ほまれある。
「迷う」が「すぐれて名高い」に変わった。
そして平成から令和に元号が変わって、
平成の「名人会」も「令和名人会」となった。
今日はレギュラーメンバーの会。
そして明日がその拡大令和名人会。
夕方には、8人に増えて宴会。
私の左隣が㈱白石社長の白石純一郎さん。
その左がブルーチップ㈱社長の宮本洋一さん、
常務の土橋和人さん(右)。
その隣が土井弘さん、
一番左が新谷千里さん。
そして商人舎の亀谷しづえ。
明日は楽しみます。
ゴルフと言えば、
ジャック・ニクラウス。
そのニクラウスの一番好きな言葉。
「ゴルフでは、
良い人柄と
良いスイングしか
役に立たない」
菊池寛の短編に「形」がある。
とても短くて読みやすいので、
全文を紹介してみよう。
青空文庫で公開されている。
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形
摂津(せっつ)半国の主であった松山新介の侍大将中村新兵衛は、五畿内中国に聞こえた大豪の士であった。
そのころ、畿内を分領していた筒井、松永、荒木、和田、別所など大名小名の手の者で、『鎗(やり)中村』を知らぬ者は、おそらく一人もなかっただろう。それほど、新兵衛はその扱(しご)き出す三間柄(え)の大身(たいしん)の鎗の鋒先(ほこさき)で、さきがけ殿(しんがり)の功名を重ねていた。そのうえ、彼の武者姿は戦場において、水ぎわ立ったはなやかさを示していた。火のような猩々緋(しょうじょうひ)の服折(ふくおり)を着て、唐冠(とうかんむり)纓金(えいきん)の兜(かぶと)をかぶった彼の姿は、敵味方の間に、輝くばかりのあざやかさをもっていた。
「ああ猩々緋よ唐冠よ」と敵の雑兵(ぞうひょう)は、新兵衛の鎗先を避けた。味方がくずれ立ったとき、激浪(げきろう)の中に立つ巌(いわお)のように敵勢をささえている猩々緋の姿は、どれほど味方にとってたのもしいものであったかわからなかった。また嵐のように敵陣に殺到するとき、その先頭に輝いている唐冠の兜は、敵にとってどれほどの脅威であるかわからなかった。
こうして鎗中村の猩々緋と唐冠の兜は、戦場の華(はな)であり敵に対する脅威であり味方にとっては信頼の的であった。
「新兵衛どの、おり入ってお願いがある」と元服してからまだ間もないらしい美男の士(さむらい)は、新兵衛の前に手を突いた。
「なにごとじゃ、そなたとわれらの間に、さような辞儀はいらぬぞ。望みというを、はよういうて見い」と育ぐくむような慈顔(じがん)をもって、新兵衛は相手を見た。
その若い士は、新兵衛の主君松山新介の側腹(そばはら)の子であった。そして、幼少のころから、新兵衛が守り役として、わが子のようにいつくしみ育ててきたのであった。
「ほかのことでもおりない。明日はわれらの初陣(ういじん)じゃほどに、なんぞはなばなしい手柄をしてみたい。ついてはお身さまの猩々緋と唐冠の兜を借してたもらぬか。あの服折と兜とを着て、敵の眼をおどろかしてみとうござる」
「ハハハハ念もないことじゃ」新兵衛は高らかに笑った。新兵衛は、相手の子供らしい無邪気な功名心をこころよく受け入れることができた。
「が、申しておく、あの服折や兜は、申さば中村新兵衛の形じゃわ。そなたが、あの品々を身に着けるうえは、われらほどの肝魂(きもたま)を持たいではかなわぬことぞ」と言いながら、新兵衛はまた高らかに笑った。
そのあくる日、摂津平野の一角で、松山勢は、大和の筒井順慶の兵と鎬(しのぎ)をけずった。戦いが始まる前いつものように猩々緋の武者が唐冠の兜を朝日に輝かしながら、敵勢を尻目にかけて、大きく輪乗りをしたかと思うと、駒(こま)の頭を立てなおして、一気に敵陣に乗り入った。
吹き分けられるように、敵陣の一角が乱れたところを、猩々緋の武者は鎗をつけたかと思うと、早くも三、四人の端武者(はむしゃ)を、突き伏せて、またゆうゆうと味方の陣へ引き返した。
その日に限って、黒皮縅(くろかわおどし)の冑(よろい)を着て、南蛮鉄の兜をかぶっていた中村新兵衛は、会心の微笑を含みながら、猩々緋の武者のはなばなしい武者ぶりをながめていた。そして自分の形だけすらこれほどの力をもっているということに、かなり大きい誇りを感じていた。
彼は二番鎗は、自分が合わそうと思ったので、駒を乗り出すと、一文字に敵陣に殺到した。
猩々緋の武者の前には、戦わずして浮き足立った敵陣が、中村新兵衛の前には、ビクともしなかった。そのうえに彼らは猩々緋の『鎗中村』に突きみだされたうらみを、この黒皮縅の武者の上に復讐せんとして、たけり立っていた。
新兵衛は、いつもとは、勝手が違っていることに気がついた。いつもは虎に向かっている羊のような怖気(おじけ)が、敵にあった。彼らは狼狽(うろた)え血迷うところを突き伏せるのに、なんの雑作もなかった。今日は、彼らは戦いをする時のように、勇み立っていた。どの雑兵もどの雑兵も十二分の力を新兵衛に対し発揮した。二、三人突き伏せることさえ容易ではなかった。敵の鎗の鋒先が、ともすれば身をかすった。
新兵衛は必死の力を振るった。平素の二倍もの力さえ振るった。が、彼はともすれば突き負けそうになった。手軽に兜や猩々緋を借したことを、後悔するような感じが頭の中をかすめたときであった。
敵の突き出した鎗が、縅(おどし)の裏をかいて彼の脾腹(ひばら)を貫いていた。
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菊池寛は新潮文庫の解説を自分で書いた。
「吉川英治」の名を借りた。
「内容も大切だが、
『形』も大切だというテーマである」
ゴルフのスウィングは、
この形である。
形は極めて大切だ。
考えてみると、
店は形である。
商品は形である。
商売では、
良い人柄と、
良い店と商品しか、
役に立たない。
〈結城義晴〉