非常に残念な訃報です。
クレイトン・クリステンセン。
ハーバードビジネススクール(HBS)教授。
1月23日に67歳での逝去。
結城義晴と同年。
惜しい。
あの「The Innovator’s Dilemma」を世に問い、
この分野で最高の研究者となった。
邦訳は「イノベーションのジレンマ」。
まだまだ研究は深まっていくはずだった。
最後の病名は白血病だったが、
これまで糖尿病をはじめ、
2007年に心臓発作、2009に悪性腫瘍の癌、
さらに2010年に脳梗塞と、
相次いで重病に苛まれた。
クリステンセンは闘病しながら、
精力的に仕事をつづけた。
頭が下がる。
1952年4月6日に、
ユタ州のソルトレイクシティに生まれた。
この街はモルモン教の大本山で、
ブリガムヤング大学がある。
クレイトンは、
ハーバードやエールに合格するも、
敬虔なモルモン教徒の両親の願いを受け入れて、
ブリガムヤング大学に進学する。
在学中には2年間、
韓国で宣教師として活動。
さらに2mを超える長身で、
バスケットボールの選手として活躍。
大学卒業後はローズ奨学生として、
英国のオックスフォード大学に留学。
計量経済学で修士号を得る。
帰国後はハーバードビジネススクールで、
経営学博士号を取得直後、
1992年から教鞭を取り続けていた。
その間に、
ボストンコンサルティングでコンサルタント、
ワシントンD.C.で運輸省長官のアシスタント、
CPSテクノロジーズを設立し、CEO。
しかしクリステンセンは初めから、
『Wall Street Journal』の編集者になることを、
熱望していた。
経済学や経営学の探究者としての歩みは、
ジャーナリストになるためだった。
文才に恵まれていた。
だから大学1年生のときに、
エディターを志し、
そのためにブリガムヤングでも、
オックスフォードでも経済学を専攻し、
HBSで博士を取得した。
さらにコンサルタントや経営者のキャリアも、
エディターへの道だった。
クリステンセンの処女作は、
もちろん『イノベーションのジレンマ』だが、
こういった経緯で、
42歳の時の刊行である。
遅れてきた研究者であった。
それからの意欲的な研究は、
初志貫徹の賜物だが、
すべての著作に共通しているのは、
文章のすばらしさである。
「重病のたびにこの世での自分の使命は
もう残っていないのか神に問うてきた。
もしそうなら喜んで
次の世での使命を果たしにいくつもりだ」
日経新聞の小柳建彦編集委員が、
直接会って、書いている。
「イノベーション・オブ・ライフ」は、
そんなクリステンセンの遺言である。
クリステンセンは幸せだったと思う。
こころからご冥福を祈りたい。
さて私は午後から新幹線のぞみ。
新横浜を発車すると、
すぐに丹沢山系。
雪をかぶって美しい。
富士は見えなかったが、
富士川の鉄橋はくっきりとしていた。
新大阪に着いて、
すぐにシェラトン都ホテル大阪。
定宿。
関空へのシャトルバスが運行され、
中国人顧客が押し寄せている。
だからフロントからレストランまで、
ホテル従業員は全員、
厳重にマスクを着用。
クレイトン・クリステンセンを、
この年齢で失ったことは、
人類の損失である。
合掌。
〈結城義晴〉