毎年書いているが、
一月、往ぬる。
二月、逃げる。
三月、去る。
その令和最初の一月が、
今日、終わる。
その1月31日午後11時。
イギリスが欧州連合を離脱する。
「Brexit」
“British”と”
時差が9時間あるから、
日本時間2月1日の午前8時。
欧州連合は英語で、
「European Union」、略称EU。
英国首相のウィンストン・チャーチルは、
「ヨーロッパ合衆国構想」を描いた。
ナチスドイツのアドルフ・ヒットラーさえ、
「新ヨーロッパ」を妄想した。
「Das neue Europa」。
アメリカ合衆国の成功、
そしてソビエト連邦の盛衰。
中国も連邦国家である。
第二次大戦後、
世界で最も進んだヨーロッパが、
理想を求めて「共同体」の構築に向かった。
1952年、6カ国によって、
欧州石炭鉄鋼共同体が始まった。
フランスとベネルクス三国、
そして敗戦国の西ドイツ、イタリア。
さらに1958年1月1日、
欧州経済共同体と欧州原子力共同体発足。
前者はEuropean Economic Community、
後者はEuratom。
そして1967年、3つの共同体が統合して、
ヨーロッパ共同体(EC)が誕生した。
「European Communities」と称した。
私が小中学生のころに学んだのが、
EECであり、ECだった。
6年後の1973年1月1日には、
イギリス、アイルランド、デンマークが、
ECに加盟して9カ国となり、
さらに1981年1月1日にはギリシャ、
1986年にはスペインとポルトガルが参加。
ここまでは、
対ソビエト連邦の色合いが強かったが、
1989年11月9日、ベルリンの壁崩壊。
翌1990年、東西ドイツの統一。
ECは門戸を開放して、
東欧諸国を迎え入れる準備をした。
そこで1993年11月1日、
欧州連合(EU)が発足した。
EUはまず経済分野において、
超国家的性格の枠組みを有した。
そのほかにも、
共通外交・安全保障政策、
司法・内務協力において、
加盟国政府間の統合が進められた。
この中で1998年5月1日、
欧州中央銀行が設立され、
翌1999年1月1日に、
単一通貨「ユーロ」が導入された。
凄いことだった。
これこそ革命的な通貨統合であった。
加盟国もどんどん広がって、
2013年にクロアチアが加わると、
ネットワークは広く、
ヨーロッパの28カ国に拡大された。
このヨーロッパ連合の広がりに、
初めてブレーキがかけられるのが、
イギリスの離脱である。
二十世紀最後のユーロ導入の際も、
イギリスだけはポンド通貨を貫き通して、
一線を画してきた。
ある意味ではこの時が、
想定されていたのかもしれない。
チャーチルやヒトラーも構想したが、
一番最初の着想者は、
紀元前のユリウス・カエサルだった。
その意味でEUは、
2000年を超える歴史と、
グランドデザインを持つものだ。
残念この上ない。
一方、日本を取り巻く環境を見ると、
対中関係、対韓関係ともに、
カエサルのグランドデザインはないし、
EECからEC、EUへの道筋も見えない。
今日の中日新聞朝刊コラム。
「中日春秋」
半世紀前の随筆。
作家・獅子文六の文章を引く。
「クラゲでもいいから、
人間以上の知恵と力を持った生物が、
どこかの星にいないものか」
「気配でもいい、襲ってきてほしい」
そうすれば、
「全人類の団結ということで、
空前の国際親和が生まれる」
これは東西冷戦期の随想だ。
国際連合アントニオ・グテーレス事務総長。
今年、創設75年の年頭の晴れの場で演説。
ポルトガル首相を務めた第9代事務総長。
〈国際連合広報センター公式ホームページより〉
事務総長には「四人の騎士」が見えている。
「四騎士」とは、
聖書の「黙示録」に登場する、
四つの災いの象徴である。
黙示録は世界の終末を描いたものだ。
その四つの危機とは、
⑴テロや核の脅威を含む地域同士の対立
⑵気候危機
⑶格差などで生まれる不信
⑷デジタル技術の悪用
今発刊されている月刊商人舎1月号特集。
[極端気象]
グテーレス事務総長と同じ見解だ。
コラムニスト。
「地球全体の脅威に違いないと、
多くの人が知っていながら、
団結して対抗できていない。
人類が生んだ脅威である」
「国際親和のために、
宇宙人を見つけ出すひまはない」
イギリスのEU離脱も、
4つの危機のうちの⑴と⑶が真因だ。
私たちはこのことを承知したうえで、
よく考え、よりよく行動せねばならない。
明日から2020年2月だ。
最後に、拙著『Message』から。
個と全体、その責任
一人は万人のために。
万人は一人のために。
幸せの時代、能天気の時代。
ひどく貧しかったか、
とりわけ豊かだったかの時代。
滅私奉公。
組織人間・立場人間。
ふびんな時代、無自覚の時代。
たったひとつの中くらいの価値に向かって
無秩序に競争した時代。
そんな要素をみんなひっくるめて、
今、「個と全体」。
「マイノリティとマジョリティ」。
民主主義の暴力的多数決制に
破綻が来た二十一世紀。
ならば、
この指止まれ。
しかし、寄らば大樹の陰。
そして、責任の放棄。
さらに、決断する勇気の喪失。
責任とは、
自らする意思決定のことである。
責任とは、
自ら為す行動のことである。
一番不幸で滑稽で情けないのは、
これができない者同士が向かい合って、
長々と調整を重ねることだ。
その時間の空費に、
無感覚になってしまうことである。
だから合併も経営統合も、
構造改革も組織変革も、
大いによろしい。
組織の責任と人間の存在のあり様が
明らかになる賢い行為だからである。
何世紀にもわたる大きな時代の流れが、
個と全体の、その責任のあり方を求めている。
この大命題の解を追求することは、
少なくとも、不幸で滑稽で情けない
時間の空費とはならない。
〈結城義晴〉