「ほぼ日刊イトイ新聞」
その巻頭エッセイは、
「今日のダーリン」
糸井重里さんが、
毎日更新で書いている。
私もほぼ毎日、読んでいる。
愛読者です。
2月16日の今日の「今日のダーリン」。
[糸井]ぼくの対談はおもしろいはずだ。
自慢かよ、と思われるだろうが、
しょうがない。
ぼくがやる対談は、
まちがいなくおもしろい。
そして、これにはタネもしかけもある。
もともとおもしろい人としか
対談をしないからだ。
〈株式会社ほぼ日公式ホームページより。以下同じ〉
[結城]そうだと思った。
[糸井]口数の少ない人だとか、
同じことを何度も言う人や、
強面で売っている人も、
ときには混じるかもしれないが、
そういうことは、
あんまりたいしたことじゃない。
[結城]私も対談、やります。
柳井正さんは最初、口数が少なかった。
渥美俊一さんは強面だった。
でも、面白かった。
[糸井]ぼくは、なんとか、
その人のおもしろさを見たいから、
それが表れるまで、なんとかがんばる。
[結城]私も面白さが出るまで、頑張ります。
そこまで頑張る、ってのが大事。
[糸井]ぼくだって、根性のない人間なりに
一所懸命にやるのだ。
放送されたり、
文字になったりしたぼくの対談で、
つまらなかったというものは、
おそらくないと思う。
[結城]私は対談したものは、
ほとんど全部、表に出す。
[糸井]発表されてない
おもしろくなかったものは、ある。
[結城]私は自分で最後に、
「結城義晴の述懐」というのを書いて、
言葉に出なかった面白いことを加えます。
[糸井]あんがい危ないのが
「先生」と呼ばれる人かもしれない。
[結城]いろんな「先生」がいるけれど、
ほぼ同感。
[糸井]一方的に「下の者たち」に向けて
喋っている人は、
どこに行ってもそれをやってしまうから、
その時々の、新鮮な考えや思いを
聞けないことがある。
[結城]「政治屋」みたいな「先生」ですね。
それからいつも同じことを言ってる、
学校の先生。
だけど東大の木本秀昌先生は、
すごくおもしろかった。
「極端気象」は渾身の警告です。
石原靖曠先生も実に面白かった。
でも、たいていの「先生」は面白くない。
たいていのコンサルタントの「先生」も、
面白くない。
[糸井]そういう人とは、
わざわざ対談をしないようにする。
だからみんなは、
そのおもしろくなさを知らないで済む。
[結城]それは贅沢な対談方針ですね。
[糸井]これは、本気で言っているのだけれど、
おもしろくない人なんて、
そうそういるもんじゃない。
「おもしろくないところを、
わざわざ話す」から、
おもしろくなくなってしまうのだろうと思う。
[結城]面白くないところを、
面白くなくしながら、
わざわざ載せるメディアもある。
最近、私は後輩たちを怒っている。
ちょっと「先生」的かな?
反省、反省。
[糸井]よく聞いてみたら、
だいたいの人はおもしろい。
[結城]おおいに同感。
[糸井]じゃ、だれと対談しても
おもしろいんじゃないか?
そうだけどね、そうなんだけど、
そうはいかない。
[結城]そのとおり。
[糸井]やっぱり、
普段着っぽい対談でも、ほれ、
インスタグラムなんかで言うところの
「映え(ばえ)」?
[結城]私の言葉で言えば、
「ポジショニング」でしょうか。
[糸井]そういうものがあったほうが、
もっといいわけだ。
[結城]自分で考えて、
自分で実行してきた人じゃなきゃ、
面白くはない。
それから、
人の真似ばっかりしている人、
嘘が入ってくる人、
一方的に大げさにアジる人。
全然、面白くない。
[糸井]多少なりとも
めずらしい経験をしてきた人だとか、
めずらしいことを考えてきた人だとかだと
「へーえ、なるほどなぁ」
ということがあるからね。
[結城]平凡なことを貫徹して、
非凡なところに行った人は、
一番面白いと思う。
[糸井]自慢かよとか思われるのを覚悟で、
言っておこうと思った。
[結城]私の対談も、結構、面白いです。
自慢の真似かと思われるのを覚悟で、
言っておきます。
ありがとうございました。
〈結城義晴〉
【追伸】
「今日のダーリン」を使わせていただいて、
勝手に創作しました。すみません。