藤井聡太。
17歳。
将棋プロ棋士。
私たちは2020年6月の今、
本物の天才を目の当たりにしている。
コロナ感染が世界中に拡大していようと、
天才は天才として成長している。
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト。
1756年、オーストリアのザルツブルクで生まれた。
父親のレオポルトは、
宮廷ヴァイオリン奏者で、
宮廷室内作曲家・宮廷楽団の副学長。
クラヴィコードという銀盤楽器の名手だった。
モーツアルトには姉のナンネルがいて、
彼女のクラヴィコードの稽古を聴きながら育った。
モーツアルトは3歳から、
クラヴィコードを遊びで弾いていた。
コップの音程も聴き分けた。
4歳になると父親が本格的に教え始めた。
そしてめきめきと上達していった。
4歳のころのこと。
父親の音楽仲間が集まって、
弦楽三重奏の新曲を練習していた。
モーツァルトはそばで聴いていたが、
ヴァイオリンのパートが弾きたいと、
駄々をこねた。
そこで弾かせてみると、
それまで聴いていただけで、
習っていないはずのヴァイオリンを、
見事に弾いてしまった。
5歳頃には譜面も書いていた。
6歳のころには父とともにウィーンを旅した。
この際、マリア・テレジアの前で演奏し、
ひどく評判をとった。
7歳のときにはパリへ行って、
ルイ15世の前で演奏した。
8歳にはロンドンに渡って、
クリスチャン・バッハに指導を受けた。
そして14歳でローマ教皇から、
黄金拍車勲章を贈られた。
藤井聡太を見ていると、
モーツアルトの年少期を思う。
パブロ・ピカソは、
1881年スペインのマラガで生まれた。
ピカソが赤ん坊のころから、
言葉を覚えるより先に絵を描いた。
初めて喋った言葉は「ピス」。
スペイン語では鉛筆を「ラピス」というが、
その略語の幼児用語である。
父親は画家で美術教師。
ピカソは7歳からその父に、
ドローイングや油絵を本格的に教えられた。
ピカソが9歳で描いた絵。
タイトルは「ル・ピカドール」
ピカドールは闘牛士。
馬に乗って槍で牛を刺す英雄。
色彩が素晴らしい。
ピカドールと馬のバランス、
馬の筋肉などが、
見事に描かれている。
バルセロナのピカソ美術館所蔵。
ピカソ12歳のドローイング。
ピカソの父は繰り返し繰り返し、
石膏デッサンや巨匠の模写をさせた。
天才も真似から育つ。
13歳のころ、ピカソは、
鳩のスケッチを描きかけていた。
それを父が見つけて、
わが子の画力が自分を超えたと感じた。
そして父は絵を描くことを止めた。
そんなピカソの10代を伺うように、
私たちは藤井聡太を見ている。
その藤井聡太は、
2007年、愛知県瀬戸市に生まれた。
5歳のころ将棋を覚えた。
駒に動かし方が書いてある将棋セットがある。
それを祖母が買い与えた。
祖母と初心者同士で指したのが最初の対局。
しかしすぐに祖母を卒業し、
祖父が相手となったが、
数カ月後、地元の将棋教室に通い始めた。
父はサラリーマンで、兄が1人。
両親とも将棋は初心者。
将棋教室では詰め将棋を解き、
駒落ち定跡を覚えた。
藤井もこのころ字を覚えていなかった。
字を書くよりも先に将棋を指した。
幼稚園の誕生日カードには、
「名人になりたい」と書いた。
小学校1年の3月、
アマ初段で東海研修会に入会。
小学校3年のアマ四段のとき、
小学生名人戦の愛知県予選大会に出場、
決勝で敗れて号泣。
小学校4年の9月に、
プロへの登竜門の関西奨励会へ入会。
詰将棋解答選手権という全国大会がある。
日本将棋連盟と朝日新聞社が後援。
2004年に第1回が開催され、
プロもアマも参加する。
第10回大会までに、
宮田敦史七段が6回も優勝して、
将棋界で詰将棋の名人として名高い。
藤井聡太は8歳で初めて出場し、
13歳の5回目の参加で優勝した。
第12回大会である。
それ以降、現時点まで、
5連勝を成し遂げている。
13歳のころから、
プロたちも藤井にはかなわなくなった。
そして2016年、奨励会を卒業し、
史上最年少の14歳2カ月で、
四段に昇段し、プロ棋士となった。
プロ入り後は、
無敗のまま公式戦最多連勝記録を樹立、
29連勝の快挙だった。
中学生棋士としては史上5人目。
加藤一二三、谷川浩司、羽生善治、
そして渡辺明現三冠(36歳)。
その渡辺明と棋聖戦第2局。
後手番藤井の第1手は8四歩。
この将棋でも妙手を2つ。
矢倉戦の5四金。
解説の藤井猛九段も、
立会人の屋敷伸之九段も、
控室にいた佐藤康光将棋連盟会長も、
舌を巻いた一手。
さらに3一銀。
誰も予想しなかったし、
コンピュータもこの手は軽視した。
それが後になってみると、
燦然と輝きだす一手だった。
超天才の渡辺明棋聖も、
なぜか藤井の前では精彩を欠く。
朝9時からこうして二人で向かい合って、
夕方の6時半過ぎまで。
互いのことが嫌というほどにわかってしまう対局。
渡辺は藤井の90手で投了した。
藤井は今回、和服で臨んだ。
師匠の杉本昌隆八段(51歳)のプレゼント。
母親と師匠とで選んだ。
濃紺の着物に黒の羽織、
袴は仙台平(せんだいひら)。
若々しくて実にいい。
私たちは今、
本物の天才を見ている。
モーツアルトのような、
ピカソのような、
藤井聡太。
ありがとう。
〈結城義晴〉