東京都知事選挙。
他道府県の人々には、
関係ないように見えるが、
そうでもない。
何しろ日本の首都の知事。
北欧のノルウェーの国家予算と、
同等のスケールをもつ大都市の長。
しかし夜の8時になった瞬間。
NHKは当選確実を出した。
つまらん!!
都知事選の投票率は、
40%に満たない。
当選は小池百合子さん。
私と同じ年、
頑張ってほしい。
今回はリモート選挙で、
街頭演説など一度もせずに、
圧倒的な支持を得た。
しかし毎日、コロナ対策のために、
テレビで記者会見をして、
選挙活動としては存分な露出だった。
前にも書いたが、
東京リモートだとか、
営業自粛のステップだとか、
都政そのものを人気取りに使った観は、
なきにしもあらず。
政治屋は、
次の選挙を考え、
政治家は、
次の時代を考える。
(クラーク・ジェイムス・フリーマンとされる)
小池さん得意の英語の原文は、
“A politician thinks of the next election
and a statesman thinks of the next generation.”
“politician”が政治屋、政客。
“statesman”が公正な政治家。
小池さんには、
Politicianであってほしくない。
Stateswomanになってほしい。
こちらの言葉の方が、
女性首長であることを主張できるし。
日本の政治は今、国政も地方自治も、
公明党がキャスティングボートを握っている。
東京は4日間連続で、
新規感染者が100人を超えた。
イタリアの作家パオロ・ジョルダーノ。
5月23日のこのブログで引用した。
「感染者の数、
発生地からの距離、
マスクの販売枚数、
株価暴落で失う金額、
検査結果が出るまでの日数と、
数えてばかり」
数えてばかりといえば、
民主主義における選挙も、
数を数えることだ。
「コロナは今、
“僕らの文明を
レントゲンにかけている”
のだから」
そう、私たちの文明が、
レントゲンにかけられている。
だからジョルダーノは言う。
「恐怖にも浸され、
頭がいっぱいだけど、
それでも
“今までとは違った
思考をしてみるための空間”
を確保しておこう」
考えるための空間。
考えるための時間。
ともに考えるための仲間。
考えるための基礎知識。
考えるための思考法。
考えるための情報収集。
それがとても大切だ。
「正しい」と言い募る者に限って、
信用できない。
それは選挙のプロセスを見ていれば、
本当によくわかる。
「自分は正しい」
立候補者は例外なく、
それを唱える。
しかしそれぞれが言っていることは、
正反対になるし、その嘘も透いて見える。
選挙はそれを明らかにする。
だから私たちも日常的に、
誰かが「自分は正しい」と言ったら、
それは疑ってかからねばならない。
かといって、
疑い深い人間になれと言うのでもない。
なぜなのかと、
いつもいつも、考えることだ。
ジョルダーノは、
数えることばかりでなく、
考えることの大切さを言う。
もちろん数えることも重要だ。
数えてから、考える。
考えてから、数える。
それの繰り返しが仕事であり、
その積み重ねが商売である。
ブレーズ・パスカルの『パンセ』
「人間というものは、
どう見ても、
考えるために
創られている」
「考えることが、
人間の尊厳のすべてなのだ」
「人間の価値のすべて、
その義務のすべては、
正しく考えることにある」
〈断章146〉
こう言っておいて、
パスカルはまた考える。
「考えることはしたがって、
その本性からして称賛されるべきであり、
比類のないものである」
「それが蔑(さげす)まれるには、
よほど異常な欠点が
なければならないことになる」
「で、ほんとうはどうかというと、
じつに多くの欠点があり、
これ以上に滑稽なものはないほどである」
考えよと奨めて、
その考えることには欠点もあって、
これ以上、滑稽なものはない、
とも断言する。
「考えることというのは、
その本性からしてなんと偉大であり、
その欠点という点で、
なんと卑しいものなのだろう」
〈断章365〉
選挙のために考える。
そして数える。
仕事のために考える。
そして数える。
商売のために考える。
そして数える。
その本質は、
なんと偉大であり、
その欠点をみると、
なんと卑しいのだろう。
今日は拡大名人会。
以前から決まっていた。
窓の外に広大なコース。
ジャック・ニクラウスの像。
芝は緑。
紫陽花も咲いている。
ゴルフも、考えてスイングし、
打数を数えて、また考える。
東京湾の雲。
極端気象で雲の動きが激しい。
川崎の工場地帯。
近代の文明がつくった工場。
これもレントゲンにかけられている。
その上に広がる空と雲は、
何万年も何億年も変わらない。
考えることの本質は、
なんと偉大であり、
その欠点をみると、
なんと卑しいのだろう。
胸に響く。
〈結城義晴〉