8月の終わりの夕空。
もう、秋がやって来ている。
政局は自民党総裁選挙に向けて、
思った通りの方向に動く。
安倍晋三第25代総裁が突然の辞意を表明し、
菅義偉(すがよしひで)内閣官房長官が出馬する。
かつての自民党ならば、
63歳の石破茂元幹事長か。
岸田文雄政調会長も同じ63歳で、
意欲を見せる。
一気に若返るとすれば、
小泉進次郎環境相の目もないことはないが、
その39歳の小泉大臣は、
57歳の河野太郎防衛相を推した。
現下のCOVID-19禍中では、
「病欠」の首相退陣を後継できるのは、
内閣の主要なポジションを担う者しかいない。
とすれば、あるのは、
麻生太郎副総理か菅官房長官。
麻生副総理は首相経験者の79歳だが、
トランプ米国大統領の74歳、
バイデン候補の77歳よりも年上。
だから必然的に、
71歳の菅官房長官となる。
キャスティングボートを握るのは、
81歳の二階俊博自民党幹事長。
安倍+二階+菅のラインで、
すでに話は決まっているはず。
三方一両損などではなく、
三方百両得くらいか。
来年の総裁任期終了のときに、
日本の30年後までを展望できる総理を、
望みたいものだ。
朝日新聞「折々のことば」
今日の第1920回。
わがこころ
澄みゆく時に詠む歌か
詠みゆくほどに
澄めるこころか
(若山牧水「樹木とその葉」から)
牧水は言う。
「歌は自分を知り、
守り育てたいために詠むものだ」
政治もまず、自分を知り、
守り育てるために為すべきことだ。
そのうえで世のため、人のため。
「自分を僅(わず)かなりとも
“濁りのないもの”にしたい。
その点で”合掌礼拝”に似る」
真の政治も、
濁りのないものであるし、
合掌礼拝に似る。
そう考えると、
石破茂も岸田文雄も、
河野太郎も小泉進次郎も、
「濁りのないもの」を、
求めていないわけではない。
だから救われる。
編著者の鷲田清一さん。
「言葉は何か知れない自分というものを
たぐり寄せ、劈(つんざ)いてくれるもの」
政治家も言葉を使う仕事だ。
「だが一つ間違うと自分を閉じ込めもする」
政治家も一つ間違うと、
自分を閉じ込める。
「だからこそ言葉に距離をとり、
注意深く吟味することが大切になる」
安倍晋三は最後の最後に、
持病について語る瞬間に、
少しだけ言葉に距離をとって、
注意深く吟味した。
初めからとは望まない。
そのときに安倍は「美しい国」など、
言葉に距離を置かない標語を口にした。
二度目の総理就任のときくらいには、
それがあってほしかったが、
最後の最後にしか、
その域に達することができなかった。
歌人・若山牧水は44歳で亡くなって、
小泉進次郎にいちばん近いが、
歌を極めることで、
「こころの澄みゆく」境地を拓いた。
歌人・俵万智が一昨年の夏の終わりに、
「牧水の恋」という評伝を書いた。
万智さんの牧水論、
なかなかに鋭いし、
とてもいい。
今日のテーマにまったく関係ないが、
最後に、家の前の坂道で、
Go! Go!ポーズ。
濁りのないGo! Go!ポーズ。
いまや、結城義晴にとって、
自然体。
合掌礼拝にも似たGo! Go!ポーズ。
30年くらい先まで走りたい。
白鳥は哀しからずや
空の青海のあをにも
染まずただよふ
いい歌だ。
〈結城義晴〉