テニス全米オープン、
女子シングルス。
大坂なおみが優勝した。
この大会は第4シードで、
世界ランキングは9位まで落ちていた。
決勝戦の相手はビクトリア・アザレンカ。
4大大会で2度優勝したベラルーシの強豪。
現在は世界27位。
第1セットは1対6で大坂が負けた。
しかし第2セット6対3、
第3セット6対3で逆転勝ち。
2018年に初制覇して以来、
2度目の全米オープンを獲得した。
これで大坂なおみは、
昨2019年の全豪オープン優勝と合わせて、
4大大会通算3勝目。
2018年の決勝は、
セリーナ・ウィリアムズとの激闘を制して、
初優勝。
まだ記憶に新しい。
そのセリーナは、
4大タイトルを23回も獲得している。
全米、全英、全仏、全豪。
もっともその上がいて、
オーストラリアのコート夫人は、
メジャータイトルを24回獲って、
世界最高記録だ。
私の同世代は、
クリス・エバートと、
マルチナ・ナブラチロワ。
エバートは2つ年下で、
ナブラチロワは4つ下。
二人とも18回もメジャーを獲った。
その少し下の世代は、
伊達公子と激闘を演じた、
シュティフィ・グラフ。
22回のメジャー獲得。
沢松奈生子は、
「大坂なおみ時代の到来」と表現したが、
大坂の活躍はこれからだ。
この大会は、
COVID-19パンデミックの最中の開催。
世界ランク1位のアシュリー・バーティと、
2位のシモナ・ハレプは不出場。
無観客の大会だ。
選手には感染防止対策が施され、
試合会場への行き来の際は、
マスクの着用が義務づけられた。
そこで大坂は、
1回戦から黒いマスクを着用した。
決勝までの7試合に、
7種類の黒マスクを準備した。
マスクには名前がプリントされていた。
差別で被害を受けた黒人たちの名前。
人種差別への抗議の意志を示すためだ。
この差別への抗議で思い浮かべるのが、
1968年のメキシコオリンピックだ。
東京オリンピックの次の大会。
もう、52年前の話。
男子200m競走の決勝が終わって、
金メダルはトミー・スミス。
19秒83の世界新記録をマークした。
銀はピーター・ノーマン、
銅はジョン・カーロス。
スミスとカーロスは、
アフリカ系アメリカ人。
ノーマンはオーストラリア人。
試合が終わって10月17日夕刻、
3人は表彰台に向かった。
2人のアメリカ人選手は、
シューズを履かず、
黒いソックスだけ履いていた。
スミスは黒いスカーフを首に巻き付け、
カーロスはロザリオを身につけていた。
白人のノーマンも、
OPHRのバッジをつけていた。
OPHRは「人権を求める五輪プロジェクト」
“Olympic Project for Human Rights”
優勝者を称える米国国歌が演奏され、
星条旗が掲揚された。
その間、スミスとカーロスは、
下を向いて、高々と、
黒手袋の握り拳を突き上げた。
会場の観客からは、
ブーイングが巻き起こった。
「ブラック・パワー・サリュート」。
アメリカ公民権運動で黒人たちが行った、
差別に抗議する示威行為だった。
スミスの発言。
「もし私が勝利しただけなら、
私はアメリカ黒人ではなく、
ひとりのアメリカ人です。
しかし、もし仮に私が
何か悪いことをすれば、
たちまち皆は私をニグロである
と言い放つでしょう。
私たちは黒人であり、
黒人であることに誇りを持っている。
アメリカ黒人は私たちが今夜、
したことが何だったのかを
理解することになるでしょう」
国際オリンピック委員会(IOC)の、
アベリー・ブランデージ会長。
五輪の場において、
政治的行為を実行することは、
非政治的で国際的な場としての五輪に、
反するものと表明した。
ブランデージは即座に、
スミスとカーロスを、
五輪村から追放する命令を発した。
スミスとカーロスはメダルを剥奪された。
スミスとカーロスはこの後も、
長期間、米国スポーツ界から排除された。
しかしスミスは後年、
アメリカンフットボールのNFLに属す、
シンシナティ・ベンガルズに入団した。
さらにオーバリン大学体育学助教授に就任した。
1995年には米国陸上ナショナルチームで、
補助コーチの職を得た。
そして1999年には、
スポーツマンミレニアム賞を受賞した。
それから21年後の今年6月。
現在のトーマス・バッハIOC会長の発言。
「あらゆる差別や人種差別に反対するのが、
われわれの極めて明白な立場だ」
「言論の自由という権利を
“尊厳を持って”行使する選手を支援する」
時代は変わった。
今年5月25日、
ミネソタ州ミネアポリス郊外。
黒人男性ジョージ・フロイド氏が、
警察官の不適切な拘束方法によって、
死亡させられた。
これがきっかけとなって、
抗議行動は全米50都市に拡大した。
25都市以上で夜間外出禁止令が出た。
ドナルド・トランプはツイートした。
“When the looting starts,the shooting starts”
「略奪が始まれば、銃撃が始まる」
トランプは差別と分断を煽った。
大坂なおみの黒マスクは、
この抗議行動にシンパシーを示すものだ。
1776年7月4日にアメリカは独立した。
しかし自由の新大陸アメリカ社会には、
奴隷制が現存していた。
1830年代から米国北部で、
反奴隷制運動が起こり、
1861年から南北戦争が始まった。
1865年、北軍の勝利で終わったが、
黒人への差別は根強く残った。
現在もそれは解消されていない。
スミスとカーロスの黒手袋から、
大坂なおみの黒マスクまで、
長い時間が経過した。
そして今年、
COVID-19パンデミックが起こり、
これも差別を助長する。
ユヴァル・ノア・ハラリ。
イスラエルの歴史学者。
ヘブライ大学歴史学部の終身雇用教授。
名作『ホモ・デウス』の著者。
朝日新聞の質問に答えて発言している。
「我々にとって最大の敵は
ウイルスではない。
敵は心の中にある悪魔です」
大坂なおみはコートの上だけではなく、
この悪魔と闘っている。
〈結城義晴〉