今日は商人舎オフィスに来客。
黒田久一さん。
フルックスグループ代表。
㈱フルックスホールディングス社長。
奈良からやって来てくれた。
青果物流通事業の㈱フルックス、
青果物加工事業の㈱フルックス東海、
そして惣菜事業の㈱味の大和路。
それらをマネジメントするのが、
㈱フルックスホールディングス。
先代の故黒田一郎氏が、
青果物仲卸として創業した、
いまや青果と惣菜における、
バーティカルインテグレーターを目指す。
グループのミッションは、
「食と農のかけ橋になる」
そして、
「余すところなく使い切る、売り切る」
実にいい。
黒田さんは2016年から2020年を、
第二創業発展期と位置付け、
ミールソリューション事業を充実させている。
その黒田久一さんは、
実によく勉強する。
私も、何度も欧米や中国にご一緒した。
その黒田さんは2007年から、
「惣菜のわかる八百屋塾」を主催している。
毎年数回、奈良の本社で、
講演とパネルディスカッションが行われ、
取引先や地域の人々が参集して、学ぶ。
そして来年2月の第77回に、
再び講師としてお招きいただいた。
今日はその打ち合わせ。
日程は2月10日と決まった。
フルックスのお取引先の皆さん、
それ以外の方も大丈夫かもしれない。
どうぞお越しください。
黒田さんと話していて、
今日も私は、
触発されることが多かった。
素晴らしい。
もちろん私なりのアドバイスもした。
いや~、いいなあ。
黒田久一さんと会っていると、
コロナも吹き飛んでしまいそうだ。
そこで二人で、
Go! Go! ポーズ。
朝日新聞「折々のことば」
第1972回。
我々は、
迷い、ためらうことを
可能にする言語を
贈られているのである。
(古田徹也)
「ある言葉にふれた時の、
しっくりこない、どうも違う
といった違和感は、
“常套句(じょうとうく)の催眠術”をかわし
覚醒へと向かう起点であり、
むしろ言葉の豊饒(ほうじょう)さの
賜(たまもの)なのだ」
そう、
「しっくりこない、
どうも違う」
の、この違和感は実に重要だ。
言葉に限らない。
音楽でも絵画でも、
店でも売場でも商品でも、
「しっくりこない、
どうも違う」
違和感を覚えるときがある。
言葉の場合は、
「常套句の催眠術」。
店や売場の場合は、
「創意のない物真似」。
「しっくりこない、
どうも違う」
その違和感。
古田さん。
「”リツイート”や”シェア”といった
“他者の言葉に対する
何の留保もない相乗りと反復”には、
言葉の勢いと熱量が
明澄な意識を押しのける、
そんな危うさがある」
そう、「何の留保もない相乗りと反復」。
ブログなどでもよくある。
古田さんは1979年、熊本生まれの、
東京大学大学院人文社会系研究科准教授。
2019年、『言葉の魂の哲学』で、
サントリー学芸賞受賞。
その著作から鷲田清一さんが引用。
古田徹也さんは返礼をツイートした。
「大変光栄です。
その一文の脈絡を、
これほど狭い紙幅のなかで
鮮やかに表現される手腕に、
改めて感服しました」
そこで私も拙著「Message」より。
「言葉」
瞬間、言葉を失う。
言語シンドロームか。
会話イップスか。
言いたいことが言えない。
私にもある。
だからこれは許そう。
しかし、商売に言葉は欠かせない。
仕事に専門用語は不可欠だ。
取引き・取組みに会話の手はぬけない。
難しいけれど、
それでしか表わせない
深い意味。
そのまま英語だが、
新しい魅力的な概念を込めた用語。
記号だけれど、何度も使うに便利なもの。
商品という単語。
売場という文章。
店という思想。
半面、疲れ果てた古い言葉。
心のこもらない接客七大用語。
口先だけのマニュアル常套句。
独り善がりのひけらかし修飾語。
売り言葉に買い言葉。
体系のない借りもののカタカナ羅列語。
はじめに言葉あり
言葉は神とともにあり
言葉はすなわち神なりき(ヨハネ福音書)
言葉で仕事し、
言葉で思索し、
言葉で成長する。
新人諸君、先輩諸氏。
社長も部長も店長も。
モノを言わぬ者は、去れ。
評論家も、コンサルタントも。
識者も、学者も、編集者も。
考えぬ者は滅びることを知れ。
それにしても今日の、
米国大統領選挙の第2回ディベート。
第1回よりずいぶんましになったとはいえ、
とくにドナルド・トランプはひどい。
「しっくりこない、
どうも違う」
違和感どころか、大嘘八百。
大統領がこのデタラメ。
それを聞いている、
アメリカの若者や子どもたちは、
いったい、どう育つのだろう。
フルックスの黒田一郎さんも、
黒田久一さんも、
「言葉をもった商人」だ。
〈結城義晴〉