今日の日曜日。
一日中、一歩も外に出なかった。
いまや神奈川県にも、
外出禁止令が出ているような気分。
どうしてこんなことになってしまったのだろうか。
いま書いている原稿でも、
小売業もサービス業も卸売業や製造業も、
今期に入って、
第1四半期がコロナ第一波だった。
第2四半期がコロナ第二波、
そして第3四半期が終わる11月末、
コロナ第三波が来ている。
そして年末商戦を迎える。
アメリカでは新規感染者が、
1日で20万人を超えた。
カリフォルニア州ロサンゼルスは、
全米第2の都市圏だが、
終日の外出禁止命令が出た。
5日間の平均で、
新規感染者は4500人を超えた。
ロックダウンも仕方ない。
そのうえ今週は感謝祭週間。
日本で言えば、
正月かお盆かという国民的大イベント。
感染者はまた爆発するのか。
ヨーロッパでも11月初旬に急増して、
イギリス、フランス、ドイツは、
厳しい措置に踏み切った。
その結果、感染ペースは落ち着いた。
日本は感染者や死者の絶対数は、
欧米に比べてもひどく少ない。
しかし、厳しい措置をとらねば、
感染のペースを下げることはできない。
経営や事業、仕事と同じ。
早め早めの手を打つ。
最悪を覚悟して、
最善を尽くす。
それがリスクマネジメントの基本だ。
今年は一年中、それだ。
さて、朝日新聞「天声人語」
大学入試の問題に使われるとして、
読売新聞の「編集手帳」と並んで、
高く評価されている。
その11月22日版。
「個人的には……。」
「わざわざそう断ってから発言する人が
やけに多いように感じる。
気のせいだろうか」
同感だ。
「”私はこう思う”と単に言えばいいのに、
なぜかこの表現がよく使われる」
あるある。
「それなら今までの話は何だったのか」
アメリカではまず、ない。
どこか、
責任逃れや、
無責任に聞こえる。
ここで同志社大学教授の太田肇さん。
組織論がご専門。
「”超”働き方改革」の新著がある。
太田さんが指摘するのは、
日本の企業などでの「同調圧力の強さ」。
「周囲と異なる意見を言うには
圧力にたえる”逃げ道”が必要で、
それが”個人的には”といった
表現になっているのではないか」
太田さん。
「日本の組織には私より公を優先する
暗黙の前提がありますから」
「最悪なのは本音が語られず、
建前だけの組織です」
これは小売業にも多いし、
サービス業にも多い。
本音と建前。
これがあると、
とくにチェーンストアの組織は、
うまくいかない。
一つの本部と多数の店舗によって、
チェーンストアは成り立っているからだ。
一番いいのはいつも、
「お客さまのために」と考えることだ。
倉本長治はそう教えた。
セブン&アイ前会長の鈴木敏文さんは、
「お客の立場を貫け」と言った。
「個人的には、
これはお客さまのためには、
ならないと思います」
では「公人的には」、
お客さまのためにならないことでも、
やってしまうのか。
そんな組織は腐っている。
コラムは最後に、
政治学者の丸山眞男を引く。
「私の個人的意見は反対でありました」
これは日本が戦争に向かった経緯について、
A級戦犯が東京裁判で語った言葉だという。
「自らの考えを”私情”と排し、
ひたすら周囲に従うのを
モラルとするような指導者の言動」
丸山は「既成事実への屈服」だと喝破した。
丸山眞男は政治学者、東京大学名誉教授。
1914年生まれ、1996年没。
戦前、東京帝国大学助教授だったが、
陸軍二等兵として召集された。
大学卒業生は志願して幹部候補生になる。
丸山は「軍隊に加わったのは、
自己の意思ではない」と、
二等兵のまま従軍して、
中学も出ていないだろう一等兵に、
何度も殴られた。
勝新太郎と田村高廣の主演で
「兵隊やくざ」という映画があったが、
田村演じる有田上等兵が、
丸山眞男をモデルにしていると思う。
旧帝国陸軍は、
本音と建前の巣窟だった。
丸山はそれが嫌で嫌で仕方なかった。
だから「既成事実への屈服」は嫌いだった。
コラムニスト。
「豊かで平和な社会は
異論によって形成される」
正しい。
だから組織には、
「コンフリクト(対立)」が必須だ。
そしてコンフリクトのルールには、
「個人的には」の言い方はない。
正々堂々の議論が求められる。
しかしそれはなかなか難しい。
私も若いころから跳ねっ返りで、
生意気な正論ばかり吐いていた。
それでも空気は読んだり、
あとでフォローしたり、
自分の言葉遣いには注意を払った。
言い続けていると、
その正論が少しずつ認められる。
そうなるともう、
こっちのものだ。
本音と建前があっては、
つまらない。
〈結城義晴〉