あと10日。
「コロナ年」が終わる。
今年の1月元旦に、
商人舎標語を発表した。
「世のため、人のため。」
するとこの新型コロナウイルス禍。
エッセンシャルワーカーたちは、
まさに「世のため、人のため。」に、
働き続けた。
そこにはスーパーマーケットや、
ドラッグストア、コンビニの人たちもいた。
朝日新聞「折々のことば」
第2030回。
私たちは
自分の仕事を
全うするだけですので
感謝の言葉は要りません
ただ看護に
専念させて欲しいのです
(日本看護管理学会)
12月10日付の声明、
「日本看護管理学会より国民の皆さまへ」から。
コロナ禍対応に疲弊する医療現場。
看護学会は訴える。
「感染患者に
顔をすり寄せるようにして聞き、
看護にあたるスタッフは、
緊張と過労以上に、
時に家族にすら
業務の実態を隠さざるをえない、
社会の”偏見”に追いつめられている」
「欲しいのは理解と協力なのだ」
私の母も看護師だった。
だからこの声明はわかる。
仕事を全うしたい。
その気概こそが、
エッセンシャルワークを支える。
これは小売業もサービス業も同じだ。
毎日新聞巻頭コラム「余禄」
感染力が7割も強まった変異種が、
イギリスを襲い、ヨーロッパに広がる。
「まるでウイルスに狡猾(こうかつ)な悪意が
潜んでいるかのようだ」
同感だ。
「新開発のワクチン接種が始まったら、
すぐさまウイルスの変異による
感染力アップである」
「実のところ
ウイルスの悪意や狡知(こうち)と
見えるものの正体は、
自然の摂理に暴かれる
人の無知や楽観にほかなるまい」
我々の無知と楽観が、
ウイルスに付け込まれる。
2021年度予算案。
一般会計総額が約106兆6097億円。
過去最大を更新。
これが日本国の1年間を決める。
新聞各紙の社説から、
まず読売新聞社説の見出し。
「借金頼みの財政膨張は危うい」
「感染拡大が長引けば、
再び歳出圧力が強まりかねない。
査定の甘い補正で、
予算の増大を招く事態には注意が要る。
政府は、借金頼みの歳出増が
持続可能ではないことを、
肝に銘じるべきだ」
比較的、自民党政権に優しい読売も、
借金頼みの歳出増に警鐘を鳴らす。
日経新聞社説の見出し。
「財政規律の緩みを隠せぬ」
「一般会計の総額は当初予算で
過去最高の106兆円超となり、
新規国債の発行で4割を賄う。
コロナ禍の克服と成長基盤の強化に
焦点を当てたのはいいが、
財政規律の緩みは隠せない」
こちらも財政規律の「緩み」を指摘した。
朝日新聞社説。
「財政規律のたが外れた」
いきなり言い切る。
「財政規律のたがが
外れてしまったと言うほかない」
「政府がきのう閣議決定した
来年度当初予算案と、
先週決めた今年度3次補正予算案である」
20年度の第3次補正予算と来年度予算案。
「たがが外れた」と糾弾した。
毎日新聞社説。
「コロナに乗じた野放図さ」
「新たに発行する国債は40兆円を超す。
今年度の当初予算より10兆円以上も多い。
国と地方の債務残高は1200兆円を上回り、
借金漬けが一段と深刻になる」
「暮らしを守る支出は
惜しむべきではない。
だからといって財政規律を
緩めていいわけではない」
「歳出を野放図に増やすと、
将来世代に重いつけを負わせる」
毎日は「野放図」と切り捨てる。
先週木曜日の日経新聞。
「大機小機」
日経の看板コラム。
その中でも正論を吐くコラムニスト追分さん。
「経済対策規模、正しい議論を」
「政府は財政支出40兆円、
事業規模73.6兆円という
経済対策を決定した」
これが第3次補正予算案となった。
「これに関係し、
需給ギャップを目安にして
対策の規模を決めようという
議論が出たのには、
驚いた」
「需給ギャップは、
潜在的に実現可能な国内総生産(GDP)と、
現実のGDPとの差を測定したものである」
「7~9月期のGDPの一次速報値の公表後に
内閣府が推計した需給ギャップは、
約34兆円の需要不足となっていた」
「需要不足を政策的に埋める必要があるから
“34兆円程度の経済対策を”という
議論が出てきたようだ」
これにコラムニストは、
驚いた。
なぜこの議論が不適当か。
コラムニストは3つの観点から整理した。
⑴需要不足の全てを
財政で補うことは不可能だし、
目指すべきでもない。
「経済の大部分は民間の力で動いており、
まずは民間需要の自律的な回復が
どの程度かを考えるべきだ」
「大まかに考えて、
需給ギャップが大きい時には
景気対策に力を入れるべきだとは言えるが
要するに景気が悪いから、
というだけの話であり、
わざわざ需給ギャップを
持ち出す必要はない」
⑵参照すべき数値としても不適当だ。
「需給ギャップは
実質GDPについての議論で、
34兆円も実質値なのに
経済対策に登場する金額は
全て名目値である」
「また、34兆円の数値は
年率換算(実際のギャップの4倍)である。
これほど大きなギャップが
1年間続くはずはなく、
年率で議論する意味は乏しい」
⑶経済政策の効果と
34兆円の需給ギャップは
全く対応していない。
「そもそも
対策の効果が表れる頃に
需給ギャップは
異なったものとなっているはずだ」
「現に、7~9月期の二次速報は
GDP規模が上方修正されたので、
ギャップは14兆円程度に修正されるだろう」
「34兆円というギャップは
もはや存在しないのだ」
「さらに、日本経済は今後しばらく
潜在成長率を上回るスピードで
成長すると見込まれており、
需給ギャップはもっと
小さくなっていくはずだ」
これは心強い読みだ。
「また、
今回決定された経済対策の中には、
基金や予備費など、
いつ使われるのか不明のものや、
投融資のように、それが実行されても
需給ギャップの縮小には
つながらないような事項が
たくさん含まれている」
最後の言葉。
「GDPギャップの金額と経済対策の規模を
直線的に結びつけるという乱暴な議論は、
今回限りにしてほしいものだ」
コロナ禍に乗じて、
こんな乱暴な議論がまかり通った。
これが読売の「危うい」であるし、
日経の「緩み」であるし、
朝日の「たがが外れた」や、
毎日の「野放図」であろう。
「今回限り」などとは言っていられない。
しかし会社が新年度予算を決めるときに、
こんな「需給ギャップ」のごとき論議が、
持ち出されていないだろうか。
参照すべき数字は、
適切だろうか。
経済効果と矛盾してはいないだろうか。
「世のため、人のため。」となっているか。
何事も無知と楽観が、
付け込まれる原因である。
〈結城義晴〉