サンフランシスコの今。
米国在住の浅野秀二さんのFacebook写真。
フェリービルディング。
人影もまばらだ。
朝のファーマーズマーケット。
ブルーボトルコーヒー。
モールのアーケード内の店だが、
店頭に売場を突き出して、
物販を拡充している。
サンフランシスコでは12店舗。
第1号店がサンフランのダウンタウンの、
ウェストフィールドSCの裏にある。
日本にも進出していて、
現在、16店。
サンフランシスコ対岸のオークランドで創業。
コーヒーの製造小売業。
2017年9月、ネスレが株式の68%を買収。
現在はネスレ傘下にある。
そのブルーボトルの缶コーヒー。
このフェリービルディングには、
日本の㈱ロック・フィールドが出店している。
店名は「DELICA」。
浅野さんが購入したお弁当。
サンフランの光は眩しい。
しかし人は少ない。
浅野さんが住むアラメダ島から、
サンフランシスコ湾を臨む。
鳥の群れが多いが、浅野さんは、
「ニシンが湾に入った」と表現している。
サンフランシスコでは、
ミレニアム世代が家族を持って、
第二次郊外化現象が始まっている。
観光客の大幅減だけではなく、
郊外へと人が移住するから、
ダウンタウンが空いている。
それはコロナ対策にもなるか。
早く、サンフランシスコに行きたい。
そんな思いがつのる。
ちょうど1年前の今日、
私はサンフランシスコに向けて出発した。
商人舎主催のスーパーマーケット研究会。
ああ、あれから1年。
霧のサンフランシスコ。
その前日の千葉のイオンタワー。
記者会見が開かれて、
岡田元也さんがイオン㈱会長となった。
新社長は吉田昭夫代表執行副社長だった。
この時、59歳、今、60歳。
誰も1年後の今を知る者はいなかった。
さて毎日新聞の連載コラム「風知草」
山田孝男特別編集委員が書く。
「建設的ジャーナリズム」
このタイトルで新年の決意表明。
「デジタル記事のページビューは、
新聞の編集方針を左右するか?」
質問されたニューヨーク・タイムズ編集主幹。
ビル・ケラー。
「我々は数値によって
職務や力点を変えない。
読者はニューヨーク・タイムズの
判断を求めているのであり、
大衆の判断を求めているのではないと
信じるからだ」
そして言う。
「我々はアイドルではない」
山田さんも述懐する。
「胸のすく啖呵(たんか)である」
「ニューヨーク・タイムズの主張に
共鳴するにせよ、しないにせよ、
新聞の編集者はかくありたい」
これは実は2010年の逸話。
ビル・ケラーは1989年に、
ピュリッツァー賞を受賞している。
山田さんはNHKのBS1の番組を紹介する。
「ニュース砂漠とウイルス」
サブタイトルは、
「アメリカ地域メディアの闘い」
ノースカロライナ州の地方紙の衰退が、
地域にどんな影響を与えたかを
掘り下げたリポート。
「劇的な暴露や批判を重視する、
大手の放送局を飛び出し、
地域のラジオ局で、
地域の課題の解決策を、
リスナーと情報交換しながら探る――」
そういう道を選んだ、
デンマークの放送記者を取材して、
こんな声を引き出している。
「ジャーナリズムは(なんでも)
否定的に取り上げるという批判がある。
建設的に取り上げる必要を感じている」
これを「建設的なジャーナリズム」と呼ぶ。
山田さんの結語。
「建設的な報道は
ジャーナリズム再生の指針に違いない。
読者迎合とは違う。
ましてページビュー稼ぎにふけり、
節を曲げることではない」
「当欄も<建設的>をモットーに掲げ、
年頭の自戒としたい」
同感だ。
「毎日」にも偏りがないとは言えないが。
私が㈱商業界の編集統括を務めた時代、
ある編集部に「なんでも否定的」な男がいた。
ジャーナリズムを勘違いしていた。
私は徹底的にその考え方を否定した。
彼を排除したことは、一切ないが。
小売業やサービス業の世界も、
だんだん、そうなってきた。
だから「ポジショニング」が求められる。
すべての顧客を相手にはできない。
大衆すべてを相手にはできない。
エブリボディグッズはコモディティ化した。
だからすべての顧客に、
迎合してはならない。
ただしその一方で、
できるだけ多くの顧客を、
獲得しなければならない。
建設的な主張を持ち、
それを商売に表現しなければならない。
「我々はアイドルではない」
〈結城義晴〉