26年前の1995年1月17日。
私は㈱商業界の『食品商業』編集長だった。
2月15日発行の3月号で緊急特集を編み、
その巻頭言は追悼文となった。
「阪神大震災」
阪神大震災、
お見舞い申し上げたい。
亡くなられた方々の
ご冥福を祈りたい。
尊い命を、家族を、同朋を、
奪い取られた悲しみはつきない。
家を、店を、
財産を失った絶望は深い。
しかし、人びとは、
たくましかったし、
モラルは高かった。
被災地の商業は任務を果たし続けた。
スーパーマーケットは、
生存のための配給基地となった。
コンビニは、
余震の続く闇のなかの灯台に変わった。
フードサービスは、
温かい食べ物の炊き出し係に徹した。
メーカーや問屋は、
補給部隊の役を担った。
小さな店も、大きな企業も、
皆が、このときこそと、
日ごろの仕事の腕を発揮した。
いつもよりも素早く、力強く、黙々と。
そのそばで、
瓦礫のなかに
埋まったままの人たちも、
また、いた。
雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ、
商業は働き続けねばならない。
店は客のために、是が非にも、
開けておかねばならない。
有事のときにこそ、頭を柔らかくし、
冷静に、活躍せねばならない。
人びとが立ち上がる礎に
ならねばならない。
商業人は、
どんなときにも、
明日を、
見つめていなければならない。
私たちは、震災に勇敢に
立ち向かった仲間を心から尊敬しよう。
商業という仕事を貫いた同志たちを
誇りにしよう。
こんなときだからこそ、深く深く、
私たちの役割の大切さを自覚しよう。
そして、この阪神大震災を
永く記憶にとどめておこう。
崩れ果てた廃墟のなかで、
人びとに喜んでもらった
この感動を、
これからの支えにしよう。
未来のために。
客のために。
店のために。
蘇える街のために。
私たち自身のために――。
6年後に21世紀に入って、
2001年9月11日、米国。
同時多発テロ。
今から20年前だった。
2011年3月11日。
日本の東北・北関東。
東日本大震災。
今から10年前だった。
そして今日、
2021年1月17日。
地球全体。
COVID-19パンデミック。
ブレーズ・パスカル。
「パンセ抄」(鹿島茂)から。
目の前に
絶壁があったとしても、
わたしたちは、
それが見えないようにするために
何かしらの障壁を前方に設け、
しかるのちに、
安心してその絶壁のほうへ
突っ走っていくのである。
〈断章一八三〉
欧米も日本も。
政治も行政も。
人間は
小さなことに対しては
敏感であるが、
大きなことに対しては
ひどく鈍感なものである。
これこそは、
人間の
奇妙な倒錯のしるしである。
〈断章一九八〉
しかし、
新約聖書・ローマ人への手紙5章。
艱難が忍耐を生み出し、
忍耐が練達を生み出す。
そして、
練達が希望を生み出す。
この希望は、
失望に終わることがない。
[注]「練達」とは「練られた品性」のことをいう。
シェル・シルヴァスティン。
「Every Thing On It」より。
There are no happy endings.
幸せな終わりなどない。
Ending are the saddest part,
終わりはもっとも悲しいところだ。
So just give me a happy middle
だから幸せな真ん中をください。
And a very happy start.
そしてとても幸せな始まりを。〈結城義晴訳〉
最後に小林一茶。
露の世は露の世ながらさりながら
私たちはまだ生きている。
〈結城義晴〉