昨日は二十四節気の「啓蟄」だった。
月刊商人舎3月号の責了と、
田島義博先生の遺志を継いだ、
マネジメントスクールの最終講義で、
季節を顧みる余裕を失っていた。
「啓」という字の意味は、
「閉じたものをあける」、
あるいは、
「未知のものを明らかにする」。
「蟄」の意味は、
「虫が土中で冬ごもりすること」。
したがって啓蟄は、
冬ごもりしていた虫がはい出ること。
しかし「蟄」には、
「人が家の中に閉じこもる」意味もある。
「蟄居(ちっきょ)」などという言葉もある。
だから「啓蟄」は、
「人が家ごもりしていて、
そこから這い出て、
未知のものを明らかにする」
とも解釈できる。
何とも皮肉なことに、
その「啓蟄」の日に、
1都3県で緊急事態宣言の延長。
しかし啓蟄を過ぎると、
15日後には春分だ。
桜の木も開花を待っている。
その桜の木の下にたたずむと、
かすかに香りがしてくる。
もうあと2週間で開花。
それを待つ。
蟄居しながら。
空気もぬるんできた。
「川崎洋詩集」〈こどもの詩〉より。
木
木は遠足に行かない
木はしっこもうんこもしない
木は眠るのも立ったまま
木はくしゃみをしない
木はソフトクリームを食べない
ほんとうは
木は
口笛を吹くのかもしれない
泣くことだってあるかもしれない
一人ごとを言うのかもしれない
でも
木は木を切らない
そして
百年も千年も生きる
川崎洋は、東京都生まれの詩人。
2004年、74歳で逝去。
木はコロナウイルスに侵されない。
木は感染症にかからない。
木は肺炎にならない。
小売り商人は本来、
木のようなものだ。
商社マンは動物のようなものだし、
そんな小売り商人も増えてきたが、
それでも商人は、
木のようであることからは免れない。
それが商人の強さである。
最後に「谷川俊太郎詩集」より。
はる
はなをこえて
しろいくもが
くもをこえて
ふかいそらが
はなをこえ
くもをこえ
そらをこえ
わたしはいつまでものぼってゆける
はるのひととき
わたしはかみさまと
しずかなはなしをした
「蟄」でありながらも、
春は来ています。
〈結城義晴〉