春分の日だ。
ほぼ半月ずつ、だいたい15日間ずつ、
二十四節気は移っていく。
春分のあとは、
清明、穀雨、
そして立夏となる。
立夏といっても今年は、5月5日。
子どもの日と重なる。
それまでにファイザーのワクチン、
接種することができるのか。
私は65歳以上の高齢者だ。
今日は1日、自宅で、
単行本の校正。
朝日新聞「天声人語」
武田良太総務相のひと声。
「記憶がないと言え」
「国会で答弁席へ向かう電波部長に命じる
何者かの声が中継映像に残っていた。
追及された武田氏がきのう、
“記憶がない”の部分は自分の声だと認めた」
「無意識で出た」と。
「ドスのきいた早口の低音。
部下が矢継ぎ早の質問に
ぐらつくのを警戒したか。
大臣じきじきの念押しが飛ぶ中、
電波部長は改めて
“記憶はございません”」
コラムはつぶやく。
「痛ましくも忠実な官僚答弁だった」
武田良太総務相は、
福岡県出身で名門小倉高校から、
早稲田大学文学部へ。
亀井静香衆議院議員の秘書を経て、
伯父の田中六助代議士の地盤を継いで立候補。
しかし三度、落選して、
四度目に35歳で初当選。
以後、当選6回、現在52歳。
一方、鈴木信也総務省電波部長。
千葉県船橋市出身。
超名門の開成高校から東京大学法学部。
郵政省に入省後、外務省、海外留学、
官民交流派遣で野村證券にもいた。
典型的なエリート官僚。
54歳。
ああ。
武田良太から、
「記憶がないと言え」とささやかれたか。
「記憶はございません!!」
やけっぱち気味に、
ここだけ強く言った。
大きなマスクをしているから、
幼くも見える。
大臣も高級官僚も、
ずいぶん質が落ちた気がする。
大平正芳の伝記『茜色の空』では、
秘書官も大臣も官僚も、
もちろん総理大臣も、
天下国家を考え、論じている。
終戦直後に大平は、
池田勇人大臣の秘書官だった。
宮澤喜一と同僚だった。
いずれも内閣総理大臣となった。
この戦後の秘書官時代。
吉田茂総理からの直接の質問にも、
大平は即座に自分の意見を言う。
そしてそれは吉田茂と一致していた。
自分の見解を言う。
忖度ではない。
それが内閣総理大臣と一致している。
そんな人間がやがて、
内閣総理大臣となる。
忖度でない、自分の判断。
それが重要だ。
さて、「ほぼ日」の糸井重里さん。
「新型コロナウイルスのこと。
一年以上、ずうっっっと
考えてきましたよね」
「”一般の人”として、
一年前とどこが進歩したか」
「考えた”量”は積算されているから、
ずいぶん増えたけど、
考えていることの”質”は、
あんまり変わってないです」
同感だ。
「ワクチンさえできたらいいのに」が、
「ワクチンはできたけど」になっただけ。
「マスク、手洗い、三密回避」
これはずっと基本であり厳守事項であり、
それ以上のことは、
どうにもやりようがない。
その基本が”不朽の名作”のようになって
ちょっと”飽きた”みたいなって、
いまでは、問題になっている。
糸井流の言い回し。
そこで、あらためて、
「マスク・手洗い・三密回避」を考える。
(1)コロナウイルスは、粘膜から入り込む。
だから目や鼻、そして主に口に、
入れないことが大事。
手についたかもしれないウイルスは、
石鹸やアルコールでやっつけられるので、
手を洗う。
(2)じぶんが仮に、
コロナウイルスに感染していても、
それを他の人に感染させないこと。
人に会うことや、
人混みに出ることをしなければ、
他の人に感染させる可能性を減らせる。
(3)コロナウイルスは、
主に口から、唾液などの水分に
混じって飛び出して他の人にくっつく。
マスクをすることで、
その可能性を減らせる。
もっといいのは、黙っていること。
(4)つまり、だれもが
「感染させない」努力をすることが、
感染の連鎖を断つ効果的な方法である。
じぶんが感染しているかどうか知らなくても、
感染させない対策をちゃんとやろう。
「そういうことだったと思うのです」
感染しないための努力でなく、
させないための対策が、回り回って、
「コロナ感染の輪を止める」
「”情けは他人の為ならず”と、
同じ考え方だと気づきました」
「情をかけることは、
その人のためにならない」
これは間違い。
「人に情をかけていれば、
巡り巡って自分によい報いが来る」
商人の仕事こそ、これだ。
「情けは人の為ならず」
大臣も官僚も秘書官も、
それを先頭に立って実践する立場だ。
それが公僕というものだ。
保身ばかり考えていてはいけない。
春分の日なのだから。
〈結城義晴〉