プロゴルファー松山英樹。
全米プロゴルフ選手権で、
首位と2打差の4位。
ゴルフの4大メジャーは、
マスターズ、
全米オープン、
全英オープン。
そして全米プロゴルフ選手権。
マスターズで初優勝して、
自信が漲(みなぎ)っている。
不思議なものだ。
そのマスターズでは、
2位がウィル・ザラトリス、
3位対がジョーダン・スピースと、
ザンダー・シャウフェレ。
そして5位がジョン・ラーム。
しかし全米プロでは、
彼らの名前は上位にない。
つまり松山英樹だけが、
メジャートーナメントで、
上位にある。
人間としての自信が、
それを可能にしている。
マスターズで優勝するまでは、
「欲」が前に出ていた。
優勝したい、優勝したい。
勝ちたい、勝ちたい、勝ちたい。
そのために日々、努力を続ける。
未来のために今を犠牲にしても、
それに打ち込む。
それでもなかなか成就しない。
それが松山にとっての、
ゴルフであるし、スポーツである。
ある人にとってはアートであるし、
ある人にとっては政治であるし、
私たちにとっては仕事である。
ほぼ日刊イトイ新聞。
糸井重里が書く巻頭エッセイは、
「今日のダーリン」
「大人の人間が考えていること、
やっていることのほとんどが、
未来のための準備だ」
同感だ。
「未来になにか”目的”があって、
それを実現するために必要なことを、
いまやっている」
「たとえば、東海道新幹線に乗って、
東京(現在地)から大阪(目的地)に行くとすると、
熱海やら名古屋やらについては、
通っている途中にしか過ぎない、
なにも関係ない」
「せいぜいが、静岡あたりで
“富士山が見えた”とかね、
目で追ったり写真を撮ったりするくらいだ」
私もいつもやっている。
「ぼくらのやっていることのほとんどが、
つまりは、”現在(いま)”を
“目的(みらい)のために捧げている、
ということになっているんじゃない」
「なにかをよくしたい、
ましにしたいと思って目的がある。
だから、それを実現するのは、
よいことである」
「しかし、そのために”いま”が、
ただの”材料”や、”手段”や”我慢”に
なってしまうとしたら、
んん? それでもいいのだろうか?」
同感だ。
「”いま”がなにかの途中である
というのも、認めるよ。
だけど、その”いま”が
つまらなくてもいいのか?」
「いつかやってくる
最高の”目的(みらい)”のために、
いまが供物として
捧げられているようなことは、
ほんとはヘンだと思うのだ」
私もそう思う。
「生きるということは、
まさしく”いま”のことなのに」
「どうぶつや、幼い子どもは
“いま”を生きているぞ」
「“あすなろの木”は、
明日でなくて、
今日を生きているぜ」
松山英樹は、
明日のためではなく、
今日を生きる。
目の前の一打一打を真剣に打つ。
その278打が10アンダーとなって、
マスターズの栄冠をもたらした。
私の仕事で言えば、
この一言一文が、
一冊の雑誌になる。
一冊の本になる。
しかしこの一言、この一文をこそ、
楽しまなければ何になるのか。
「この一瞬の積み重ねが、
君という商人の全生涯」
倉本長治。
商売には顧客がいる。
「いま」の顧客が目の前に存在する。
だから商人は「いま」を生きる。
「いま」を生きるから、
「あす」がある。
楽しくなければ商売じゃない。
これは「いま」を生きることだ。
松山英樹も商人も、
普通の大人が考えることとは、
違うことをやっている。
そこに本当の未来がある。
〈結城義晴〉