今日は日本列島全域で雨。
しかし雨が降ると、
目に見えて草木が元気になる。
今日も横浜商人舎オフィス。
その裏の遊歩道。
午後から夕方にかけて、
雨が激しくなった。
みなとみらいのランドマークタワーも、
雨に煙って見えない。
1日中、原稿執筆。
いつものことだが台割(だいわり)を変更。
「台割」は雑誌や単行本や冊子の設計図だ。
どのページにどんな記事を載せるか、
どんな論文を割つけるか。
その設計図だ。
16ページを「1台」と呼ぶ。
A全版やB全版の1枚の紙を折っていって、
16ページにする。
単行本などは32ページにする場合もある。
その1枚を1台の印刷機に乗せて印刷する。
だから「台割」と呼ぶようになった。
より良い売り方を見つけるために、
売場レイアウトや棚割を変更するのと同じ。
初めに決まったことを、
そのまま決まったようにはやらない。
最近の単行本執筆でさえも、
最終段階で重要な3つの章をカットした。
1977年の4月から、
月刊雑誌の仕事を始めた。
それ以来、44年間。
ずっと変わらない。
台割はより良いものを求めて、
常に変化させる。
刻々と変わる。
良い原稿、そうでもない原稿、
よろしくない原稿。
良くない原稿は書き直してもらう。
あるいは編集長権限で書き直す。
さもなくばボツにする。
最初は緒方知行編集長のもとで、
徹底してこの考え方を叩きこまれた。
「販売革新」という流通革命を追う雑誌だった。
新入社員からはじまって、
一番下っ端の編集者だった。
次は高橋栄松編集長のもと、
少しずつ認められて、
自分の担当する特集は、
いつも台割変更をした。
さらに今西武編集長から乞われて、
「食品商業」編集部に異動した。
このころは任せられたから、
思う存分にやった。
みんな故人になってしまった。
最後は小島稔編集長のもと、
副編集長のようなポジションで、
この考え方を徹底した。
小島さんとは、よくぶつかった。
それでも必ずより良いものを求めた。
一度も妥協したことはない。
これは結城義晴の矜持(きょうじ)である。
1989年にその食品商業誌の編集長になった。
それ以降32年間、誰にも干渉されずに、
それを貫徹してきた。
今日もそうして、
「商人舎」の台割を変更し、
原稿を書き、編集した。
いつまで続けられるかわからない。
それでもやれるところまでは、やる。
さて北海道新聞の巻頭コラム。
6月2日の「卓上四季」
インタビュアーの類型は二つに分かれる。
イソップ寓話の北風と太陽である。
ジャーナリストの故筑紫哲也さんの説。
「容赦のない厳しい追及で事実を暴くか。
柔和な関係を築いて心を開かせるか」
「取材の場合、寓話と違い、
どちらも正解となりうる」
名優アンソニー・ホプキンスさんが、
2001年に来日した。
「出演料などシビアな質問をした番組では
ぶぜんとした表情で話も弾まず、
人物像に的を絞った取材では
相好を崩して己を語った」
筑紫さん。
「どちらも本人にちがいなく、
対照的な姿を提示できることが
いろいろな番組が存在することの
意味だと思う」
そこで女子テニスの大坂なおみさん。
全仏オープンを棄権した。
「心の健康を守れない」として、
試合後の記者会見を拒んだ。
それが波紋を広げ、
他の選手らに迷惑をかけたくないと、
棄権を決断した。
2018年全米オープンで初優勝。
以来、長く鬱状態を繰り返した。
「身につけるヘッドホンは
社交不安症の自分を守るすべだった」
筑紫さんは政治部出身の記者だった。
狭い政官界で関係を築かねばならない。
だから「勢い”太陽型”になりやすい」と述懐する。
私も「太陽型」だ。
そして筑紫さん。
「絶対の真理や正義など滅多にない」
同感。
卓上四季のコラムニスト。
「世界の頂点に立ち、人権問題でも
積極的に発言するプロテニス選手も
傷つきやすい心を持つ23歳だった。
そのことに気づかされた
インタビューを巡る攻防である」
絶対の真理や正義などめったにない。
だから台割も売場レイアウトも棚割も、
いつも少しでもより良いものに、
変更しなければならないのだ。
〈結城義晴〉