九州に発令さた「大雨特別警報」。
鹿児島県では線状降水帯によって、
同じ場所で非常に激しい雨が降り続いた。
これも[極端気象]
月刊商人舎2020年1月号だった。
サブタイトルは、
2020年代最大の「リスクマネジメント」
COVID-19がやって来て、
ちょっとかすんでしまったが、
極端気象は10年、20年どころか、
このままでは100年続く。
木本昌秀東京大学教授の警告。
我田引水ながら、
よくあんな特集をつくった。
その通りのことが毎年、
繰り返される。
お見舞い申し上げつつ、
リスクマネジメントを再確認しよう。
最悪を覚悟して、
最善を尽くす。
今日は㈱万代本社。
午前中、新製品の試食会などに出た。
独自商品をつくるのはとても難しい。
しかし万代カレッジの教え子たちが、
バイヤーに育っていて、
必死で新製品をつくってくる。
それでも厳しい評価をする。
私は高齢者なので、
高齢者の味覚だ。
それは一般的ではないかもしれない。
それでも一消費者として感想を述べる。
あとはネーミングや価格、
パッケージに関して見解を述べた。
率直に楽しかった。
午後は新店へ。
昨日の7月9日にオープン。
万代堺深井店。
入口の青果部門の一丁目一番地は、
いつも、どの店も素晴らしい。
この店では、
従来の万代の新店とは異なる実験がある。
それは詳しく分析してみたいものだ。
先日、横浜の商人舎オフィスで、
試食した商品も並んでいた。
「万代あんぱん」
店長の西岡隆明さん。
宇谷店店長だった昨年は、
万代知識商人大学のクリニックで、
お世話になった。
そして取締役店舗運営担当の圓石一治さん。
昨日からずっとお世話になっている。
万代のあとはコノミヤ深井店へ。
ディスカウント攻勢で、
万代の新店に対抗している。
強い者同士の競争は、
ますます激しくなる。
それから万代人事部マネジャーのお二人。
津田睦さん(中)と石川慎也さん。
明日から万代カレッジ第6期の講義だ。
津田さんは第1期生、石川さんは第2期生。
定宿のシェラトン都ホテル大阪。
梅雨空だが雨は降っていない。
関東同様に暑い日だった。
日経新聞「大機小機」
コラムニストは魔笛さん。
タイトルは、
独創性は「型」の狭い門から
「学術研究では独創性が重要であり、
オンリーワンを目指せといわれる」
ペンネームでの執筆だが、
魔笛さんは多分、高名な学者だ。
「しかし現状は学者の評価も学術予算も、
主要とされる雑誌に
論文が何本掲載されたか、
被引用数はいくつかなど、
数が基準となり、ナンバーワンを競っている」
良い傾向ではない。
なぜなら、
「独創性が高い研究ほど、
内容の理解も価値の判断も
本人以外には難しい」
「そのため、そのような研究には、
同意見を持つ学者はどのくらいいるか、
という質問が投げかけられる」
「聞き手が自分で判断できず、
他人の評価に頼るからである」
学者も専門バカ(失礼!)が多いから、
他者の研究を評価できない。
そして学術研究は、
「皆が受け入れているから正しい、
というわけでもない」
「独創的であるほど理解され難く、
最終的に日の目を見ないこともあろう」
「そのため学術研究でも、
多くの者は独創性より流行を追いかける」
「その方が容易だし、
学術雑誌に採択されやすいからだ」
独創性を求める商品開発でも、
同じようなことが起こる。
「経済学ではほとんどの場合、
流行は10~15年周期で入れ替わる」
「後世に残る研究が出るのは、
多くの場合、流行の前半期だけだ」
「標準理論の地位を得た後半期には
複雑で細かな拡張がたくさん出るが、
ほとんどは後に残らない」
独創的だけれど、
やがてスタンダードになる商品開発。
それは他者が真似ることになる。
魔笛さんはミケランジェロを引用。
「人の後を追う者は決して
新しい境地を切り開くことはできない。
創造することを諦めた者は、
他の優れた作品から
何も得ることはできない」
他の優れた作品を学ぶことだ。
ただし学ぶ対象は、
極めて優れたものでなければならない。
「はるかな高みに目標を仰ぎみよ。
取るに足らぬ目標を達成し、
それに甘んじてしまうことこそ
私は強く危ぶむのである」
ミケランジェロは、
ギリシャ・ローマに学んだ。
それがルネッサンス(復活)だ。
かといって、
「独自だとして勝手に自説を
主張する人がいいかと言えば、
多くはさらにひどい」
商品開発でも、
これは多い。
「はやりの学術論文も
数百年にわたる研究を
積み重ねた確固とした型がある」
「新たな理論はそれに精通し、
限界を見極め、破って、
という狭い門から初めて作り出せる」
18代目中村勘三郎の言葉。
「型があるから型破り。
型がなければ形無し」
市川猿翁も同じことを言っていた。
健康的でおいしいサラダや、
行列のできる餃子や、
斬新で旨いピザをつくるには、
「型」を学んで、「型破り」する。
「型」がなければ「形無し」だ。
〈結城義晴〉