二度目の東京オリンピックまで、
あと5日となった。
一度目は57年前の1964年。
私は12歳で小学校6年生だった。
家のそばの横浜三ツ沢球技場で、
サッカーの五輪試合を観戦した。
日本代表の試合ではなかった。
どこの国の対戦だったかは忘れた。
この大会の器械体操は、
4つの金メダルを獲得した。
遠藤幸雄の男子個人総合と、
男子団体総合。
山下跳びの山下治広の跳馬、
早田卓次のつり輪。
私は憧れた。
それもあって、
中学・高校と器械体操部に入った。
ユースキン製薬㈱社長の野渡和義さんは、
そのときの3年先輩だ。
5日後の二度目のオリンピックも、
テレビ観戦ではあるものの、
子どもたちや若い人たちに、
そんな影響を及ぼすだろう。
大人たちにも感動を与えて、
生きる意欲をもたらすだろう。
だからこそ禍根の残らない形で、
二度目の東京五輪を無事、
終了させてほしい。
そう、ここまできたら、
「無事」に終わらせる。
いまや、そんな段階にある。
祈るしかない。
もろ手を挙げて成功した、
などと言えることには、
絶対にならないだろう。
新型コロナ感染。
日曜日の発表であるけれど、
今日の東京の新規陽性者は1008人。
神奈川県も460人。
埼玉県が287人、千葉県が254人。
オリンピックが開催される首都圏で、
いまだ感染拡大傾向が続いているのが心配だ。
「ほぼ日」の糸井重里さん。
巻頭エッセイは「今日のダーリン」
「いつまでもあると思うは親と金」に引っ掛けて、
「いつまでもあると思うなコロナ」
「コロナ的な時間、コロナ的な環境、
コロナ的な思考を、ぼくらずっと
練習してきちゃってるじゃない?」
そうそう。
コロナ的商売、コロナ的仕事、
コロナ的経営、コロナ的マネジメント。
「おかげで、コロナ的な生き方が
上手になってるんだよね」
どんな人も、どんな組織も、
それは上手になっている。
「これ、いまはいいけど、
ちがうぞと言いたいんだ」
「いまの”コロナに慣れちゃってる時間”が
異常なんだぞ」
私はそれを、
「キャズム」と「ポスト・コロナ」で、
区分している。
巨大な断絶を「キャズム」(溝)と表現し、
それが終わった後を「ポスト・コロナ」と言う。
キャズムはコロナ前とは大きく違う。
けれどポスト・コロナも、
コロナ前とは大きく異なる。
糸井さん。
「これを機会にして
いい方向が見えることもあるだろうが、
コロナを前提に生きていく世界は、
まず終わるんだからね」
やがてコロナと人間は、
動的平衡のなかで共生することになる。
しかし「キャズム」は終わる。
マスクの常時着用状態は終わる。
確実に。
「そのときは、
そう遠くない将来にくるんだからね」
ワクチン接種が進んで、
集団免疫の状態がくるときか。
日本にとってそれは来年か。
再来年か。
アメリカではどうか。
世界中を考えると3年後か5年後か。
糸井のMessage。
「未来を生きるみんなよ、
コロナに慣れすぎちゃダメだよっ」
同感だ。
「いまは、あくまでも
我慢しているだけ。
社会と自己のために」
「キャズム」に対応しなければならないが、
ポスト・コロナの時代はまた、
大きく変わることも知っていたい。
それでも、
「コロナに慣れすぎちゃダメ」
うん、そうだ。
〈結城義晴〉