齋藤充弘さんが亡くなった。
6月9日、74歳だった。
ほんとうに惜しい。
全日本食品㈱で社長、会長を務め、
相談役に就任していた。
日本ボランタリーチェーン協会会長、
日本スーパーマーケット協会副会長など歴任。
1971年、慶應義塾大学経済学部卒業後、
㈱ダイエーに入社。
しかし硬骨漢・齋藤充弘、
すぐにダイエーを飛び出して、
翌1972年、全日本食品入社。
全日食チェーンの本部機能を担う会社。
それ以来、一貫して、
ボランタリーチェーンの改革に邁進。
1983年、常務取締役、
1999年、代表取締役副社長、
2001年、代表取締役社長。
全日食チェーンの歴代総帥は、
加盟店店主ばかりだったが、
はじめての本部社員からの登用だった。
2013年、代表取締役会長、
そして2019年、相談役。
最後にお会いしたのは1年前。
スポーツの日の祝日。
名門・戸塚カントリークラブ。
㈱プラネット会長の玉生弘昌さん、
同社長の田上正勝さん。
そして齋藤充弘さん。
思い出深いラウンドだった。
もちろん名門クラブは、
ソーシャルディスタンシングも万全。
安心してプレーし、
心豊かな時間を過ごした。
月刊商人舎2013年12月号は、
ボランタリーチェーンを特集した。
ポスト・モダニズムVC
この特集の中で、
齋藤さんにインタビューした。
読み返しても、実に面白いので、
その冒頭の部分を再掲載――。
結城 12年間、全日本食品の社長を務められ、9月に平野実さんにバトンタッチしました。
齋藤 平野社長は選挙で選ばれました。AKB48と同じです。
結城 それは初めて知りました。
齋藤 2年前に私の後任の社長になってもらう人を選ぼうということで、全日本食品の取締役・執行役員15名、全日食チェーン協同組合の理事長15名の合計30名で検討を始めました。まず社長にふさわしい人物像を出してもらったのですが、みんな自分がなると思っていないので、これが言いたい放題なのです(笑)。
その結果を私が累計して、人格、能力、過去の業績の3つに分類しました。私の顔を見て「若い人!」なんて言うのもいて。
結城 あははは(笑)。
齋藤 今度はそれに加重して100点満点で数値化し、全候補者を30人全員で評価しました。ここまでで半年以上かかりました。
その評価を全部、私のところに集めました。もちろん、個々人の評価を把握しているのは私だけです。最終的に私がコンピュータで評者のバイアスを取り除きました。その結果、平均得点50点のところ、平野さんが70数点で断トツのトップでした。しかもいちばん若かった。
平野さんに「社長を引き受けてもらえるか」と伝えました。突然のことだったので、本人も1カ月ほど考えていましたね。最終的に引き受けてもらえることになったので、評価点数とともに公表しました。
結城 そうですか。画期的な方法ですね。
齋藤 平野さんには、社長として体制を組むのだから、一緒に仕事をする取締役6名を自分で選びなさいと言いました。
それで、1年前に平野さんが選んだ6名全員を常務に昇格させて、この1年間はシャドーキャビネット(影の内閣)のようにして予行演習をさせました。
トータル2年をかけて新体制に移行したことになります。加盟店と本部の人間が一緒に検討した結果なので、みんな納得の上で平野さんが選ばれたわけです。これがボランタリーチェーン(VC)らしい選び方です。
私から見ても、平野さんはおおらかな性格で、人をひきつける魅力を持っているので、どの方法で選んでも最終的には彼になっただろうと思います。
結城 素晴らしいですね。
齋藤 8月31日に社長を退いてから、私は何も言っていません。もう私の時代ではなく、新しい人たちの時代です。これから先は彼らにお願いしようということです。
齋藤さんはこの2013年9月に会長となり、
2016年9月に公職に就いた。
日本ボランタリーチェーン協会会長。
今度はボランタリーチェーン全体を、
変えるという役割だった。
どんなときにも、
いつも公平で公正。
正論を貫き通す。
どんな相手にも、
ひるまず立ち向かう。
鋭く切り込む。
ときに誰にも思いつかない、
皮肉なものの見方を提示する。
そして笑い飛ばす。
理路整然の理論家であり、
現場に即した実務家。
そして独特の人間観察者。
反論すべきところは反論し、
同意すべきところは同意する。
一本の芯が通った経営者だった。
そしてそれは意外に珍しいことだ。
ボランタリーチェーンという、
地味ではあるが面白い組織体が、
齋藤充弘をそうさせたのだと思う。
そして齋藤充弘は、
人と人の集まるこの組織体を、
心から愛していたのだと思う。
ご冥福を祈りたい。
合掌。
〈結城義晴〉