お盆に入って2日目。
8月14日。
帰省のシーズンだが、
それもままならない。
全国的に雨模様で、
局地的に大雨が続く。
だから全国的に人々の外出も、
控え目だったのだろう。
「人の流れ」は抑えられたか。
日経新聞の記事。
「クラスター週400件」
新型コロナのクラスター発生件数が、
急増している。
アルファ株はイギリス型。
ベータ株は南アフリカ型。
ガンマ株はブラジル型。
そしてデルタ株はインド型。
それにギリシャ文字では、
飛び火してラムダ株が出てきた。
南米ペルー型。
商人舎流通スーパーニュースでも、
「新型コロナ」のバーをクリックすると、
多くの新規感染者が判明している。
びっくりするほどだ。
現場の状況は厳しい。
厚生労働省の集計。
クラスターの定義は、
同じ場所で2人以上が感染した事例。
8月10日時点で計9735件。
直近8日間では407件。
7月上旬は週105件だった。
3倍以上の発生ペース。
特に増えたのが企業のクラスター。
そして商業施設のクラスター。
百貨店やショッピングセンターが多い。
百貨店は、
阪神梅田本店や伊勢丹新宿本店などで、
クラスターが発生した。
フロア別分析では、
地下階での事例が3分の1を占める。
つまりデパ地下。
これはよくわかる。
そこで百貨店各社は、
混雑時の入場制限を始めた。
阪急うめだ本店は昨日の13日から、
食品売場への入り口を一部閉鎖。
三越伊勢丹や高島屋なども、
今日の14日から混雑時に入店を制限。
全国に約150カ所のイオンモールは、
来場人数を計測して、
「混雑度」が50%を超えた場合、
入場を制限する。
粛々と感染防止を続ける。
それしかない。
こんな時にはむしろ、
仕事をしているのがいいと思う。
仕事が人を救う。
仕事が社会を救済する。
コロナの時期など、
極端な話だが、
余分な休みがないほうがいいとさえ思う。
お盆の連休、
その前の五輪の連休。
夏休み。
すると、
仕事を持っている人たちは、
仕事から離れる。
児童や生徒や学生は、
勉強から離れる。
それが人々の心をざわつかせ、
人の流れとなる。
テレワークのできる人たちは、
それぞれの自宅で、
エッセンシャルワーカーは、
それぞれの最前線で、
それぞれに仕事に邁進する。
仕事は人を前向きにしてくれる。
仕事は人を外向きにしてくれる。
仕事は人を上向きにしてくれる。
仕事は絶望の淵から人を救ってくれる。
仕事は希望の炎を灯してくれる。
そして仕事は失望を希望に変えてくれる。
糸井重里の「ほぼ日」
昨日の巻頭エッセイ。
「絶望とは愚か者の結論である」
ベンジャミン・ディズレーリ。
19世紀のイギリスの政治家のことば。
糸井。
「絶望って”手詰まり”だということなので、
どうにも”やりようがない”んですよね」
「なんかあるんじゃないか、
どうにかできるんじゃないか、
という”希望”を、
愚かでない人は探そうとします」
“やりようがない・わけじゃない”
それだけで生きる気にもなれる。
「”希望”を探すことは、
まったくいいことだと思います」
「ただ、あたりをよく見ることが
大事なのです」
二つの希望がある。
「すぐにわかりやすく語られる
“希望”でなくとも、
よく考えたらくっきり見えてくる
“希望”もあるはずです」
よくよく考えると、
希望はくっきりと見えてくる。
このよくよく考えた希望が大切だ。
「その”希望”には
どういう根拠があるのか、
どんな人がどう説明してるのかを、
落ち着いて観察します」
「”すぐ、これにつかまれ!”と
藁(わら)を投げることのほうが、
わかりやすくてこころに響くことも
あるかもしれません」
溺れる者は藁をもつかむ。
そんな甘言も多い。
「でも、大きな事実の集積が、
ほんとうの”希望”には
あるはずだと思うのです」
ほんとうの希望には、
事実の集積という根拠がある。
「”絶望”は愚か者の結論ですし、
絶望に耐えて生きることは
人間には無理でしょう」
「でも、絶望を怖れるあまりに
あわててつかんだ”希望”は、
たくさんの人たちを溺れさせる
藁だったりもします」
そう、絶望を恐れて、
慌てて藁をつかんではいけない。
世の中には、
こういった藁があちこちにある。
最後に糸井重里の祈り。
「”希望”を求めるという
純粋な気持ちが、
落ち着きと寛容と共に、
よい判断につながりますように」
私は商売という仕事の中に、
純粋な希望を求めることで、
商人は救われるのだと、
固く信じている。
〈結城義晴〉