朝7時59分の東横線に乗る。
私の最寄り駅は妙蓮寺。
菊名でL特急に乗り換えると、
渋谷までが東横線。
新宿を経由して小竹向原までが、
地下鉄副都心線。
それから練馬、所沢、入間、
そして飯能までが西武池袋線。
乗り換えなしで9時25分に、
飯能に到着。
都合、1時間26分。
神奈川県から東京都、
そして埼玉県。
一本で行ける。
便利になったもんだ。
池袋まではかつて、
週に2回通っていた。
2009年4月から2014年3月まで。
立教大学ビジネスデザイン研究科で、
特任教授をやっていた。
2007年8月に㈱商業界を辞して、
2008年2月に㈱商人舎を創立し、
2009年4月に大学院特任教授に就任した。
あっという間の5年間だったが、
結城ゼミのゼミ生はきっちり30人。
私の講義を履修してくれた院生は、
ざっと数えて250人くらい。
キャンパスに研究室を用意してもらって、
給料と研究費をいただいた。
はじめの研究室は、
蔦の絡まる3号館だった。
立教名物の第一食堂の隣の建物で、
私はとても気に入っていた。
それから4年目に15号館に移動した。
マキムホール。
5階の研究室のロビーから、
キャンパスを見下ろす。
M503号室。
平浩一郎教授と同室。
在室・授業・会議・外出・帰宅。
所在を明らかにしていた。
2014年3月22日に、研究室を撤収。
このころ私は自分の部屋を、
三つもっていた。
横浜の商人舎オフィスと、
この立教の研究室。
それから神田の小部屋。
新日本スーパーマーケット協会にあった。
とても使い切れずに、
神田はご無沙汰ばかりだった。
立教で私はマーケティングを教えた。
故渥美俊一先生に反論するような内容だった。
池袋を通過するときはいつも、
そんなことが走馬灯のように蘇る。
それから飯能まで電車に揺られる。
飯能にも縁が深い。
杉山昭次郎先生が住んでいた。
私は「流通仙人」と呼んだ。
80歳を超えるまで、
一緒にゴルフを楽しんだ。
飯能パークカントリークラブ。
それから焼鳥屋・多貫喜(たぬき)で語り合った。
杉山先生の晩年は、
水曜日にゴルフ、
後の6日間はフナ釣り。
「フナに始まりフナに終わる」
まさに隠遁の生活。
杉山先生は流通システム研究所所長。
コンサルタントとしては、
あの坂本藤良の弟子のひとりで、
血筋は申し分なし。
坂本藤良は日本のコンサルタントの草分け。
「倒産学」「再建学」などの著書でも知られる。
私は、㈱商業界に入社して、
1週間のうちに、
高橋栄松という先輩に連れられて、
杉山先生に会いに行った。
いきなり黒板に書きながら教えられたのが、
「ソシオ・テクニカル・システム論」。
杉山先生の持論だった。
故上野光平先生は杉山先生の盟友。
私はその門前の小僧をやっていた。
上野先生は堤清二さんの東京大学の先輩。
乞われて西武百貨店に入り、
実質的に㈱西友ストアーを創業した。
その後、流通産業研究所所長理事長。
上野先生は1987年に、
63歳で逝去された。
杉山先生は2013年5月22日、
肺がんで永眠、享年87。
商人舎公式ホームページに、
杉山先生の連載を書いてもらっていた。
その遺稿を単行本にした。
タイトルは、
『マス★カスタマイゼ―ション』
商人舎刊。
サブタイトルは、
「スーパーマーケットの現代化戦略」
結城義晴自身が使いたいタイトルを、
杉山先生に捧げた。
㈱商人舎の第1号単行本。
杉山先生の絶筆。
マスの時代が終焉し、
ポスト・マスの追求が始まった。
それがマス・カスタマイゼーション。
杉山先生はこの著書の中で書く。
「不特定多数を意味する”マス”に対し、
カスタマイゼーションとは
“固定客づくり”である。
“マス化”と”固定客づくり”を
両立させようとする、
相対立するものを結びつけた
新しい概念である」
その考え方や組織のつくり方、
問題解決のモデルが、
わかりやすく展開された。
飯能はだから、
私にとって馴染み深い地だ。
その飯能に今年8月3日、
「フーコット」がオープンした。
㈱ヤオコーの子会社が開発した、
新しいフォーマット。
ディスカウント・スーパーマーケット。
その店の前に立って、
感慨深いものがあった。
オープンしてから、
ほぼ4週間後の日曜日。
朝9時50分に到着すると、
300人くらいの行列ができていた。
オープンは10時。
ヤオコーやフーコットの人たち、
手ごたえを感じているに違いない。
その模様は月刊商人舎9月号に。
ヤオコー本体が目指すのは、
マス・カスタマイゼーション。
一方、フーコットは、
マスを追求する。
しかし実現させたいのは、
「旧いマス」ではないだろう。
どんな「新しいマス」なのか。
それがこのフォーマットのカギを握るものだ。
〈結城義晴〉