訃報です。
遠藤須美夫さん。
享年90。
㈱ベルジョイス特別顧問。
9月9日午前8時、
老衰のためご逝去。
9月14日、葬儀は盛岡市で、
近親者のみで行われた。
喪主は妻の遠藤敏子(としこ)さん。
後日、㈱ベルジョイス主催で、
お別れの会が開催される。
㈱べルプラス社長、会長、
㈱ベルジョイス名誉会長などを歴任。
共同仕入れ機構CGCジャパンの重鎮で、
東北シジシーのリーダーだった。
2008年、㈱商人舎発足の会では、
発起人に名を連ねていただいた。
スーパーマーケット業界きっての教養人だと、
ずっと私は尊敬していた。
1928年に小苅米謙太郎氏が、
盛岡市本町に一戸商店を創業した。
精肉店だった。
1958年(昭和33年)に、
スーパーマーケットに業態転換し、
1号店をオープンする。
紀ノ国屋が1953年に、
日本初のスーパーマーケットと言われる。
その5年後には岩手県で、
スーパーマーケットが誕生していた。
1961年には、
商号を「いちのへストア」に変更。
そして1970年、
協同組合ベルマート商品センター設立。
遠藤須美夫さんは㈱一戸商店の企画部長で、
その協業の立案者だった。
岩手県内の中小スーパーマーケット7社が、
1979年のニチイの大型店進出に対抗して、
協業を始めたのだ。
全国でも極めて珍しい協業だった。
1975年には、
協業活動の実験店舗がオープンする。
有名な「ベルマート都南プラザ」である。
これも遠藤さんが主導して開発した。
1979年には名称を、
協同組合ベルマートに変更した。
最初は商品で協業したが、
やがて新しいフォーマット開発を始めた。
私はこのころ盛岡を訪れて、
初めて遠藤さんに会った。
2回か3回の連載を販売革新誌に書いた。
「ベルマートの協業」がテーマだった。
故城功先生は、
小売業のIEコンサルタントの草分けだが、
遠藤さんたちはその城先生から、
徹底して考え方を学んだ。
長野県の㈱ツルヤも城功門下だが、
合理的な考え方を貫徹する。
その後、1983年には、
名称が協同組合ベルセンターに変わり、
1987年、㈱ベル開発が誕生して、
「ビッグハウス川久保店」をオープン。
このビッグハウスは、
スーパーウェアハウスストアで、
「一物三価」を基本の考え方にしていた。
㈱アークスをはじめ、
全国のCGCがビッグハウスを展開するが、
そのコンセプトワークは、
遠藤さんたちによって為された。
1990年、いちのへから㈱ジョイスへ。
さらに1991年、㈱ベルセンターが、
リテイル・サポート会社として設立され、
協同組合ベルセンターの事業を引き継ぐ。
1994年、ジョイスはジャスダックに上場。
こちらは小苅米淳一社長。
遠藤さんはベルセンター、ベル開発、
そして東北シジシーなど協業事業を担った。
2003年、㈱ベルグループ、
2007年、㈱ベルプラスが設立され、
2014年には㈱アークスと経営統合。
そしてアークス傘下で、
2016年、㈱ベルジョイスが誕生。
2013年に私は、
東北シジシーで講演した。
講演の後のパーティで遠藤さんは、
石川啄木を引用して挨拶をした。
ふるさとの
山にむかひて
言ふことなし
ふるさとの山は
ありがたきかな
岩手山である。
その後は、
スーパーマーケットトレードショーで、
お会いする機会をもった。
いつも岩手弁で、
一言ひとことを考えながら、
ゆっくりを話す人だった。
しかしその視点は鋭くて、
視野は広くて高かった。
享年90の大往生。
遠藤須美夫さんはきっと、
「言うことなし」とつぶやき、
「ありがたきかな」と、
述懐しているに違いない。
心からご冥福を祈りたい。
合掌。
〈結城義晴〉