台風一過の三連休。
明日が敬老の日の祝日。
9月の第3月曜日。
2002年までは、
毎年9月15日だった。
2001年の祝日法改正で、
ハッピーマンデー制度が導入され、
敬老の日は9月第3月曜日となった。
私も高齢者に属するが、
別に敬老されたいとは思わない。
あまりかわいい老人ではない。
まだまだ現役である。
毎日新聞巻頭コラム、
今日の「余録」
「米」の字を分解すると「八十八」。
「やそはち」と読む。
上方落語の名人・故桂米朝の俳号だった。
永六輔らとともに東京やなぎ句会同人。
「春の雪誰かに電話したくなり」
その米朝21番目の弟子・宗助が、
二代目桂八十八を名乗り、
襲名披露の真っ最中。
「5年間、住み込みの内弟子修業をし、
酒の相手をしながら聞く芸談が
血肉となった」
ここで世襲の話。
「落語は伝統芸能ではあるが、
世襲制ではない。
2世、3世の落語家も増えているが、
実力で評価されるのは、
個人芸であるがゆえだろう」
笑点の林家三平のような落語家もいる。
いまのところただ跡を継いだだけ。
「師匠や先達の名跡を継ぐことで、
一門の芸を継承していくのが、
“襲名”というシステムだ」
世襲ではなく、襲名だ。
ただし名人・古今亭志ん朝は、
父の大名人・古今亭志ん生の名跡を、
とうとう最後まで継がなかった。
そして政界。
「世襲制ではないはずだが、
2世、3世が幅を利かせているのが
政治の世界だ」
「来る衆院選を前に、
次々と名乗りを上げている」
河野太郎自民党総裁候補も、
岸田文雄候補も、
三世議員だ。
河野の祖父は河野一郎元副総理。
父は河野洋平元自民党総裁。
岸田の祖父は岸田正記元衆議院議員、
父は岸田文武元衆議院議員。
コラム。
「地盤や支援団体は引き継げても、
政治の能力とはまた別の話だ」
だからこの総裁選の河野太郎は、
とくにその「能力」の違いを、
見せつけようとしている。
その一点に絞っている風がある。
祖父や父と闘っているのだ。
ここで能の世阿弥。
「家、家にあらず。
次ぐをもて家とす」
「家督が続くから家なのではなく、
芸が継承されているのが家だ」
能や落語ならば芸の継承。
商売や会社ならば、
企業理念や経営力の継承。
「すぐれた人によってその道が栄える。
芸事もまつりごとも変わらない」
商売も会社も変わらない。
同じようなことを、
朝日新聞一面コラム「折々のことば」
今日の第2149回。
ひとは
建築することによって
大工となり、
琴を弾ずることによって
琴弾きとなる。
(アリストテレス『ニコマコス倫理学』から)
「これと同じで、
人は正しいことをする中で
正しい人になり、
節度あることをする中で
節度ある人に、
勇敢な行為をする中で
勇敢な人になる」
「正しい人・節度ある人・勇敢な人」は、
世襲ではない。
編著者の鷲田清一さん。
「”人となり”という時の”なり”も、
生まれ持ったものではなく、
ある行為の形(なり)を
くり返しなぞる中で
人がなりゆくもの」
「その習(なら)いを怠れば、
すぐに崩れてしまう」
商いをすることで商人となり、
学びつつ商いをすれば知識商人となる。
読み、書き続ける中で作家となり、
聞き、知る中でジャーナリストとなる。
教え、学ぶ中で教授となる。
牽引する中でリーダーとなり、
悩む中で真のリーダーとなる。
役職がリーダーを生むわけではない。
地位が経営者をつくるわけでもない。
生まれ持ったものではなく、
与えられたものでもない。
自らある行為の「なり」を、
くり返しなぞる中で
人がなりゆくものが、
「人となり」である。
だから高齢となろうとも、
現役を続ける。
それも人となりとなる。
〈結城義晴〉