秋分の日。
快晴であることも多い。
しかしこの秋を分ける日から、
一気に冬に向かっていく。
通称、猫じゃらし。
エノコグサ。
学名はSetaria viridis。
イネ科エノコログサ属の一年生草本。
ブラシのように長い穂。
夏から秋にかけて花穂をつける。
このブラシは花穂だ。
犬の尾に似ている。
そこで犬っころ草と呼ばれ、
それが転じてエノコログサとなった、らしい。
この花穂を猫に見せるとじゃれつく。
そこから俗称が生まれた。
犬と猫に関連する草花。
猫じやらし吾が手に持てば人じやらし
〈山口誓子、高濱虚子のホトトギス派の俳人〉
秋の日は釣瓶落とし。
わが髭を金に染むるや秋入日
〈林翔(はやししょう)、「馬酔木」の同人だった俳人〉
アンリ・ルソーの絵のようにもなる。
朝日新聞のコラム、
「経済気象台」
このコラムも日経の「大機小機」同様に、
第一線で活躍中の経済人、学者らが執筆。
今日のタイトルは、
「自衛社会と消費」
コラムニストは海星さん。
「ワクチン接種でコロナ禍が一息つき、
リベンジ消費で景気は持ち直す
というシナリオへの信頼度は、
次第に低下してきている」
同感だ。
デルタ株の感染急拡大によって、
病床満杯⇒ホテル隔離⇒自宅療養で、
十分な医療を受けられない例が続出した。
「結局は誰も守ってくれないのか」
この無力感は「社会に暗い影を落とした」
コラムニストの見解。
「新自由主義と少子高齢化に
さらされてきた日本は、
長い目で見れば
自衛社会化傾向を強めてきた」。
つまり政府の個人生活や市場への介入は、
最小限にしようという考えに基づいて、
「自助」が優先される社会である。
「安定した終身雇用よりも
競争原理や成果主義がもてはやされ、
年金財政への不安から、
老後の資金調達や暮らしにも
自助努力の比率の引き上げが
求められてきた」
だから、
「生き残るためには、
公的援助を決してあてにせず、
自力で何とかしなくてはならない」
この風土はコロナ禍によって、
さらに強められた。
したがって、
「仮にリベンジ消費が起こるにしても、
自衛社会基調が変わらなければ、
一時的流行に終わりかねない」
一時的流行に終わるだろう。
「うっぷん晴らしが一段落すれば、
自衛志向がむしろ
強まることもありうる」
そして価格コンシャスが強くなる。
「最終的には
自衛しなくてはならない運命が
透けて見える中で
お金を使いなさいと言われても、
首を縦には振りにくい」
日常生活にだけはお金が回る。
生きなければならないからだ。
そしてその日常の充実は必須だ。
だから、
ちいさな喜び
ささやかな幸せ
あすへの希望
かつてのバブルのような消費は、
絶対に生まれない。
破綻寸前の中国の恒大集団の状況は、
不動産バブルの当然の帰結だ。
「自衛社会のギアを
上げることになったコロナ禍は、
暮らしやすさより
効率的経営を優先してきた
企業や政府の体質への警鐘でもある」
小売サービス業は、
その、暮らしやすさを担う産業だ。
「消費拡大頼みでは、かえって
負のスパイラルにはまりかねない」
「メスを入れなければならないのは、
人々を自衛へと追い込む
構造的欠陥の方である」
構造的改革の一つは、
古い言葉だけれども、
重厚長大から、
軽薄短小へ。
情報は何よりも軽い。
月刊商人舎9月号にも書いた。
世界とアメリカの産業の趨勢を見ると、
実によくわかる。
「本誌は、21世紀をIT産業と小売業、
そして健康産業、環境産業の
100年間だと考えているが、
それらの成長が
COVID-19によって促進された。
コロナは時間を早めたのだ」
小売サービス産業、
健康産業、環境産業、
それらを支えるIT産業。
それが消費を支える。
人々を支える。
社会を支える。
構造改革の中核に位置するのは、
これら産業の従事者である。
〈結城義晴〉