久しぶりに古い友人に電話した。
元気そうで安心した。
ある会社の雇われ社長だったが、
その会社が倒産した。
彼は自分の責任だと考えた。
もちろんすべては代表取締役の責任である。
それは否定しようがない。
しかし陰で院政を敷く人間がいた。
大した人物ではないが、
その人間の私利私欲によって、
会社はつぶれた。
私はそう見ている。
会社は誰のものか。
会社を存続させるものは何か。
考えさせられる。
何はともあれ、一応、
元気そうに生きている。
それがうれしかった。
再会を約して電話を切った。
週末に衆議院総選挙が迫る。
選挙に行こう!
投票しよう!!
日曜日に働く人たちの投票によって、
国は変わり、地域は変わる。
自分の意志を社会に反映させよう。
ところで、
「小選挙区比例代表並立制」
現在の日本の衆議院の選挙制度。
小選挙区選挙と比例代表選挙が、
同じ投票日に行われる。
その比例代表の政党。
自由民主党
立憲民主党
公明党
日本共産党
国民民主党
日本維新の会
社会民主党
れいわ新選組
NHKと裁判してる党弁護士法72条違反で
〈NHK選挙web〉より
「民主党」という名称がくっついた政党が、
4党もある。
いずれも民主主義を基盤とするのだろうが、
私は全体の趨勢は「中道」だと思う。
公明党と日本維新の会は、
もともと古い左と右の中道の位置にいる。
そしてこれも民主主義を基盤とする、
日本共産党が「中道化」してきている。
自由民主党の中にも、
保守と革新がある。
右翼的と左翼的が混在して、
全体として大きな「中道」を形成している。
立憲民主党にも、
リベラルとコンサバティブが同居する。
そして4つの「民主党」。
その政策も似たり寄ったり。
完全に同質化してきている。
コモディティ化している。
同質化、コモディティ化すると、
一番大きなものが勝つ。
マーケットシェア最大のブランドが強い。
その他は必要ない。
それが世界の消費社会の趨勢である。
政治も同じだ。
アメリカの民主党のなかで、
バーニー・サンダース議員は、
「民主社会主義」を自認しているが、
これはヨーロッパから見ると「中道」である。
しかしポジショニングが面白いから、
結構、人気がある。
「民主主義は、
最悪の政治形態といわれてきた。
他に試みられたあらゆる形態を除けば」
ウィンストン・チャーチル。
第二次世界大戦のときのイギリス首相。
「民主主義は、
いろいろ厄介な問題があるが、
これに勝る政治のかたちはない」
同感だ。
その民主主義が中道化し、
コモディティ化している。
だから、
マーケットリーダーが、
圧倒的に強い。
マーケットチャレンジャーは、
ひどく弱い。
リベラルとコンサバティブの両サイドに、
マーケットフォロワーが多い。
そのくせ互いに批判し合っている。
これはつまらない市場である。
それが今の日本の政治状況だ。
だから日本の政治は行き詰っている。
今回の自由民主党の総裁選挙は、
この行き詰まりの象徴だった。
国民はコモディティ化した政界に、
突き抜けた、確かな存在の登場を待っている。
だから私たちは、
選挙に行かねばならない。
投票しなければならない。
最後に、私の著書『Message』から。
個と全体、その責任
一人は万人のために。
万人は一人のために。
幸せの時代、能天気の時代。
ひどく貧しかったか、
とりわけ豊かだったかの時代。
滅私奉公。
組織人間・立場人間。
ふびんな時代、無自覚の時代。
たったひとつの中くらいの価値に向かって
無秩序に競争した時代。
そんな要素をみんなひっくるめて、
今、「個と全体」。
「マイノリティとマジョリティ」。
民主主義の暴力的多数決制に
破綻が来た二十一世紀。
ならば、
この指止まれ。
しかし、寄らば大樹の陰。
そして、責任の放棄。
さらに、決断する勇気の喪失。
責任とは、
自らする意思決定のことである。
責任とは、
自ら為す行動のことである。
一番不幸で滑稽で情けないのは、
これができない者同士が向かい合って、
長々と調整を重ねることだ。
その時間の空費に、
無感覚になってしまうことである。
だから合併も経営統合も、
構造改革も組織変革も、
大いによろしい。
組織の責任と人間の存在のあり様が
明らかになる賢い行為だからである。
何世紀にもわたる大きな時代の流れが、
個と全体の、その責任のあり方を求めている。
この大命題の解を追求することは、
少なくとも、不幸で滑稽で情けない
時間の空費とはならない。
〈結城義晴〉