2021年、令和3年。
コロナ禍2年目の10月が終わる。
10月最後の31日、
今日はハロウィン。
横浜は朝から小雨模様。
朝顔の花に雨滴。
そして、
第49回衆議院議員総選挙、
投開票の日。
私の投票会場は、
横浜市立港北小学校。
候補者のポスターボード。
野党の立候補者統一によって、
与党と野党の2人しか、
ポスターは貼られていない。
神奈川第7区。
小選挙区と比例代表の二つの投票。
そして最高裁判所裁判官の国民審査。
日曜日に休みをいただいているので、
私は今日、投票。
終わりました。
あまり意味はないと思うし、
使うこともないけれど、
投票証明書をもらってきた。
私のはじめての国政選挙への投票は、
1972年12月10日。
第33回衆議院総選挙。
第1次田中角栄内閣時代、
中選挙区制だった。
それ以来、16回の衆議院選があった。
投票を欠かしたことはない。
私が生まれた1952年。
その10月1日に、
第25回衆議院議員総選挙が行われ、
故大平正芳は自由党公認で立候補し、
初当選した。
大平は池田勇人大蔵大臣の秘書官だった。
自由党は首相・吉田茂の党だった。
その後の1955年、自由党は、
鳩山一郎の日本民主党と、
保守合同を果たして、
自由民主党となった。
1951年秋、大平は、
70日間の全米視察旅行をした。
帰国後、池田に挨拶と報告に行くと、
池田勇人は言った。
「断らないで欲しい。
一生を決める事柄だから迷うのは分かるが、
本当に民主主義の政治を作っていくのには、
君のように勤勉で、かつ、
現場を大切にする男が必要なんだ」
「新しい国が君の出馬を要請している
と考えてくれ」
〈辻井喬こと堤清二著『茜色の空』から〉
生まれ故郷の旧香川2区から、
42歳で立候補して当選した。
以後、亡くなるまで、
11期連続当選を続けた。
第68代内閣総理大臣。
大平にとって総選挙は、
向こうからやってきた、
政界への入り口だった。
いま、大平正芳のような政治家は、
いるのか。
50年近くも投票を続けて、
いつも、そのことを思う。
その大平正芳が残した言葉。
「一言重、百金軽」
一言重し、百金軽し。
政治家だけではない。
経営者も実務家も、
もちろん知識商人も。
人間の発するひと言は重い。
いくら積まれても金は軽い。
〈結城義晴〉