文化の日。
日本国憲法が公布された日。
憲法記念の日は5月3日で、
こちらは日本国憲法施行の日。
新しい政治体制の中、
新しい憲法論議が行われるのだろう。
祝日法の示す趣旨は、
「自由と平和を愛し、文化をすすめる」
自由と平和は感覚的にわかるが、
文化は実は難しい。
「文化」は「文治教化」の略だそうである。
「刑罰や威力を用いないで導き教える」
それが文治教化の意味。
欧米から入ってきた文化は、
ラテン語の”cultura”。
「耕作する・育成する」という意味。
ラテン語がヨーロッパ言語の生みの親で、
英語もフランス語も”culture”と表記する。
社会人類学者の鈴木二郎さんが、
文化を二つの側面から説明している。
第一は、
学問、芸術、宗教、道徳のように、
主として精神的活動から
直接的に生み出されたもの。
人間の営みを充実向上させるうえで、
新しい価値を創造するという意味。
鈴木さんは、
一口に「知性や教養」ともいえると、指摘する。
そしてこの場合、
「文明」と対比して使われる。
物的な所産を「文明」と呼び、
精神的な活動の所産を「文化」という。
こちらはドイツで生まれた考え方だ。
第二は、
あらゆる人間集団が
それぞれもっている生活様式を
広く総称して文化と呼ぶ。
個別文化はそれぞれ、
独自の価値をもっているから、
個別文化の間には、
高低・優劣の差がつけられない。
こちらはイギリスやアメリカの、
文化人類学の主張で、
日本では第二次世界大戦後に普及した。
「文化の日」の文化は、
第一の考え方だ。
文化勲章受章の9人の人たちを見ると、
そう理解される。
真鍋淑郎さんは、
ノーベル物理学章受賞の気球科学者。
森重文さんは数学者。
岡崎恒子さんは分子生物学者。
川田順造さんは文化人類学者。
岡野弘彦さんは歌人。
絹谷幸二さんは洋画家。
牧阿佐美さんは舞踊家。
尾上菊五郎さんは歌舞伎俳優。
長嶋茂雄さんはプロ野球選手・監督。
素晴らしいことだ。
夕方の晩秋の空。
雲が動く。
そしてすぐに日が暮れる。
夜空にも雲は白く浮かぶ。
「ほぼ日」の糸井重里さん。
毎日のエッセイは今日のダーリン。
「マルコ・ポーロの東方見聞録のように、
異邦人の目でいまの日本を
見て歩いたとしたら、
“日本は、すべての人がマスクをしている”
ということを書かずには
いられないのではなかろうか」
同感だ。
「ワクチンの接種率が
世界の最上位のほうに近づいても、
一日あたりの感染者数が
どれだけ少なくなったとしても、
日本の人たちは、ほとんど
マスクをして外出しているし、
おそらく手を洗ったり、
三密を避けることも続けている」
ヨーロッパやアメリカの人たちとは異なる。
「日本の人たちは、
“マスク、いくらでもしますよ”と、
マスクを暮らしになじませるように
習慣化させている」
このことを、
日本人は”同調圧力”に弱いとか、
多数の行動に合わせたがるとか、
説明されることが多い。
「それがうまく
作用しているのだとしたら、
今回の場合は”いいこともあった”
と言えるのではないか」
糸井さんはこれを、
日本の人たちが、
“人に迷惑をかけない”というルールを、
無意識のレベルまで身につけているから、
と考える。
「日本人が、
根幹のところに持っている
ルールというのが、
ぼくには”迷惑をかけない”
であるように思えるのだ」
これにも同感。
記者会見などが開かれると、
特別謝る必要もないのに、
たいてい言う。
「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
「善と悪、罪や罰、不道徳、
そういうものをすべて超えて
“迷惑をかけない”ことを
なにより優先するのが、
いまの日本の最大最高の
ルールなのだとしたら、
“マスク”は、そういうものの、
象徴みたいなものである」
これは鈴木二郎さんが定義した、
第二の「文化」である。
そして私たちの「商売」は、
この文化をこそ、
大事にしなければいけない。
いくらアメリカを学んでも、
日本の小売業・サービス業の違いは、
「迷惑をかけない文化」にある。
そしてこれは欧米商業に対して、
高低・優劣の差がつけられるものではない。
商売は文化だからである。
糸井さんは言う。
「おそらく、ぼく自身も、
そういう日本人のひとりだと思うよ」
結城義晴も、
そういう日本人の一人だ。
私はマスク、
どうも好きになれないけれど。
文化の日に、
迷惑をかけない第二の文化と商売のことを、
マスクしながら考えた。
〈結城義晴〉