ヤマダホールディングス。
創業者の山田昇さんが、
会長兼社長となってコロナ禍を乗り切る。
しまむらの藤原秀次郎さんといい、
あらためて創業経営者の存在感を、
このCOVID-19パンデミックは教える。
「ヤマダ電機」の社名から、
「電機」がとれる。
私はそう言い続けてきたが、
ホールディングカンパニーとなって、
やはり「電機」がとれた。
ヤマダnews|
第2Q売上高8004億円(7%減)常2割減/住建事業黒字
そのヤマダの22年3月期の第2四半期決算。
上半期の売上高は8004億円
前年同期比7.0%減。
営業利益350億8400万円で23.7%減、
経常利益392億7600万円で20.0%減。
しかし四半期純利益は、
299億6700万円で43.4%増。
営業利益率4.4%、経常利益率4.9%。
この中間決算だが、
来年春に確定する中期3カ年経営計画では、
最終年度の2025年3月期に2兆円を目指す。
経常利益も1300億円程度。
その原動力は住宅や家具などの非家電分野だ。
ピーター・ドラッカーは、
「顧客から始めよ」と言いつつ、
「最も重要なのは非顧客である」とも断じた。
ヤマダにとっては、
家電領域は従来の顧客だが、
非家電はノンカスタマーだ。
ポスト・コロナの時代に、
ヤマダはノンカスタマーを狙う。
今後3年間で非家電が売場の半分を占める、
「テックライフセレクト」を
新規出店の軸にして出店ペースを3倍化。
さらに注文住宅の受注棟数も、
最大で2倍強にする。
家電はネットとの価格競争が厳しい。
その家電への依存経営から脱却する。
日経新聞の佐伯太朗記者が、
この中計の記事をスクープした。
「売上高が2兆円に達した11年3月期は
地上デジタル放送完全移行や
家電エコポイント制度終了に伴う
買い替えによる特需があった」
このころヤマダは、
FORTUNE500に入っていた。
イオン、セブンに次ぐ日本の三番手だった。
それからファーストリテイリングや、
アマゾン・ジャパンに抜かれた。
FORTUNEからも姿を消した。
ヤマダは2011年当時、
郊外から都心への出店に軸足を移し、
都市型フォーマット「LABI」を大量出店した。
ヤマダが中期計画を策定するのは。
2015年以来6年ぶりのことだ。
この年は60店の大量閉店をした。
しかしそれ以降、
「中期の成長目標を棚上げしていた」
ヤマダは2023年に、
創業50周年を迎える。
今年9月に三嶋恒夫前社長は体調不良で退任。
山田昇会長が社長職を兼任して、
中期計画を策定。
その山田さんは佐伯記者に語った。
「暮らしまるごと戦略の総仕上げに入る」
新たなビジネスモデルの実行、
新フォーマットの開発に、
自らの手で道筋をつける。
創業者の強さ、存在感。
この時代に必須のことだ。
2013年3月期決算は、
上場以来初めて2期連続減収減益となった。
会長に就任していた山田さんは、
取締役全員の役職を引き下げて、
自ら社長に復帰した。
しかし2016年4月1日の新年度から、
会長兼取締役会議長に退いた。
ちなみに山田昇さんの長男の山田傑氏は、
この2016年まで取締役で、
後継者と見られていたが、
山田昇さんは記者会見で、
「後継者として、その任にない」と断言。
傑氏は取締役を退任した。
今年また、自ら社長にもどって、
新中期経営計画を策定し、
ノンカスタマーをターゲットに、
新フォーマットを開発する。
「当面はトップを続投するようだ」と、
日経の佐伯記者は書いている。
『コロナは時間を早める』で、
勇気ある決断のことを書いた。
勇気とは、
未知なる世界に一歩、
目隠しで踏み込む
心のあり方だ。
ドラッカーは教える。
「経済活動の本質は、
リスクを冒すことだ」
ポスト・コロナ時代に向けて、
山田昇が下した決断は、
勇気に満ちている。
〈結城義晴〉