立冬。
二十四節気では、
立冬から立春までが冬だ。
来年の立春は2月4日だから、
冬になるのも春が来るのも、
ちょっと早い気がするが、
これも早仕掛けか。
松平頼救(よりすけ)が書いた「暦便覧」にある。
「冬の気立ち始めて、いよいよ冷ゆれば也」
頼救は江戸時代中後期の大名。
常陸国宍戸藩五代藩主。
隠居して太玄斎と名乗った。
大名の時代に暦の解説書を書いて、
1787年に出版した。
版元は蔦屋重三郎だった。
それが「暦便覧」。
太玄斎は三島由紀夫の高祖父。
つまり三島は太玄斎の玄孫(やしゃご)。
三島には文学者の血が流れていた。
冬が立ち始めた。
いい季節でもある。
日経新聞巻頭コラム「春秋」
「とびっきり面白い記者会見を見た」
新庄剛志・新監督の炸裂(さくれつ)トーク。
来年、日本ハムファイターズを率いる。
「派手なスーツに
軽妙な身ぶり手ぶりと相まって、
新庄カラーは現役時代以上に鮮やかだ」
私も見た。
「優勝なんか、いっさい目指さない。
地味な練習を積み重ね、
勝った勝った勝った勝った、
それで9月あたりに
優勝争いをしていたらいい」
「メンタル的なものを鍛えながら、
ピッチャー3人、野手4人の
タレントがいれば楽しいチームになるし、
強くなる」
チームが一丸となれば、
優勝もある。
来年のファイターズ、
負けても大人気チームになることは間違いない。
同じく日経新聞スポーツ欄の「悠々球論」
権藤博が書く。
プロ野球の選手・監督を務め、
いま、野球評論家。
中日ドラゴンズのエース投手時代は、
連投に連投を重ねて、
2度も年間30勝以上を果たした。
信じられない記録だ。
「権藤、権藤、雨、権藤」と言われた。
そのあとにまた、
「雨、雨、権藤、雨、権藤」と続く。
横浜ベイスターズの監督時代は、
「オレの事を”監督”と呼ぶな!」と言った。
それでも優勝と3位が二度。
立派な成績だった。
新庄も「監督と呼ばないで」とコメント。
「”ビッグ・ボス”と呼んでくれ」
権藤は「権藤さん」と呼ばせた。
その「悠々球論」のタイトル。
「面白ければ強くなる」
「新庄剛志新監督は驚きだったが、
監督だけはやってみないとわからない
というのが、私の持論だ」
「どんなに名コーチで、
いい監督になると思われた人でも、
失敗する」
名店長、名バイヤーも、
社長になって成功するとは限らない。
名編集長も然り。
自戒を込めて。
「逆にコーチ経験がなくても、
いい監督になることがある」
「選手の指導と監督への進言が
主な仕事であるコーチと、
決めることが仕事の監督は
まったく別な職種」
そのとおり。
監督は決めるのが仕事。
社長も決めるのが仕事。
「型破りなプレーヤーだった新庄監督は、
たぶん指導者になっても
選手の個性を生かす野球をするだろう。
選手を型にはめる野球のつまらなさは
散々味わってきたはずだ」
「こんなに楽なことはない」というのが、
権藤が監督になったときの感想だった。
自分の思い通りにできるのだから。
ダメだったら責任をとればいい。
プロ野球はいま、下剋上。
今年度はセリーグもパリーグも、
最下位から優勝のどんでん返しだった。
東京ヤクルトスワローズ、
オリックスブ・バッファローズ。
そのなかで来年は新監督のそろい踏み。
ソフトバンク・藤本博史監督、
中日・立浪和義監督。
権藤のコメント。
「新任の監督はとにかく思った通りやればいい。
格好をつけず、批判を恐れず、である」
「監督の一番の仕事は作戦ではなく、
誰を使うか決めること」
つまり人事と配置。
「誰がなんといおうと、
自分の信念に従えばいい。
そしてグラウンドに送り出したら、
選手に任せること」
「選手が色を出せば、
野球は面白くなる」
そう店員が色を出せば、
店は面白くなる。
バイヤーが色を出せば、
商品は面白くなる。
「強さと面白さは
両立しないと思われがちだが、
面白ければ強くなるのだ」
いいこと言うねえ。
面白ければ強くなる。
これは店にも商品にも、
商売や経営にも、
当てはまることだ。
〈結城義晴〉