慈恵大学病院に入院して、
大腸ポリープ切除手術をしたのが12月8日。
それからもう10日が経過した。
2週間は禁酒とスポーツを禁じられて、
静養しつつ仕事をしようと考えていた。
それでも、師も走る12月。
あれやこれやと仕事が入って、
あっちこっちと動く。
エスカレーターは使わない。
できるだけ階段を登る。
歩く、歩く、歩く。
ゆっくりと。
走らない。
しかしFacebookでは、
さまざまな声が寄せられる。
「無理をしないように」
「大事にしてください」
「ご自愛ください」
ほんとうにありがとうございます。
肝に銘じます。
ここで思い出した。
「右、左。上、下。
どっちを向いても感謝」
〈水口健次〉
水口憲治先生は、
2008年10月29日に亡くなられた。
11月18日、東京・青山斎場で、
㈱戦略デザイン研究所の社葬が行われた。
日本のマーケティングの権威。
生前はずいぶんお世話になった。
76歳だった。
その水口先生のことば。
「右、左。上、下。
どっちを向いても感謝」
さらにつづく。
「私は生かされて、生きる」
私は2008年12月の商人舎標語として、
この水口先生の言葉をお借りした。
いま、そんな気持ちだ。
「右、左。上、下。
どっちを向いても感謝」
〈水口健次〉
今日の土曜日は、
感謝しつつ、
昼すぎまで寝ていました。
さらに一歩も外に出ずに、
休みました。
ありがとうございました。
朝日新聞「折々のことば」
第2236回。
不知爲不知、
是知也。
〈孔子『論語』巻第一・爲政(いせい)第二から〉
「知らざるを
知らずと為(な)せ。
是(こ)れ知るなり」
編著者の鷲田清一さん。
「自分はこういう世界、
このような問題があることを
これまでずっと知らなかったのかと、
愕然(がくぜん)とすることがある」
私にもある。
ジャーナリズムの本質は2つある。
第1は人々が知らないことを知らせる。
第2は人々が知っていると思っていることが、
そうではないことを知らせる。
私はそれを目指している。
しかしそのための態度がこれだ。
「知らないことは知らないこととする、
それが知るということだ」
なかなかそれが表明できない。
トヨタ生産方式で大野耐一さんは、
「なぜ」を5回繰り返せと教える。
それは「知ること」に貪欲であること。
5回問わねば真実に迫れないからだ。
ここには「知らないこと」に対する謙虚さがある。
「限界や輪郭を知ってはじめて
人はおのれの知のありようを知る。
謙虚という徳が知恵の裏張りをなす」
そう、謙虚の徳が、
知恵の裏張りなのだ。
水口先生の言葉にも、
謙虚な感謝にあふれている。
朝に希望、
昼に努力、
夕に感謝。
ありがとうございます。
〈結城義晴〉