最初の日に神は、
天と地をつくった。
そして暗黒の闇の中に、
光を生み出して、
昼と夜とを分けた。
次の日に神は、
空をつくった。
次の次の日には、
海と地をつくって、
地に植物を茂らせた。
次の次の次の日には、
太陽と月と星をつくり、
その次の日に、
魚と鳥をつくった。
さらにその次の日に神は、
動物をつくった。
この日、神は自分に似せて、
男と女を創造した。
そして最後の七日目に、
神は、休んだ。
以来、七日目の日曜日は、
安息の日となった。
私は土曜日に休んだ。
そして日曜日は出かけた。
新横浜プリンスホテル。
真っ青の幻想の世界。
クリスマスツリー。
山本恭広さんとランチミーティング。
私の3番目の部下。
慶應義塾大学文学部を出て、
㈱商業界に新卒入社。
そして食品商業編集部に配属された。
編集長は結城義晴だった。
徹底的に鍛えた。
山本恭広はそれに耐え抜いた。
全盛期の食品商業編集部で、
全盛期のハードワークを経験した。
その後、食品商業編集長に就任。
その後、販売部長などを歴任して、
商業界取締役となった。
現在は販促企画支援の会社で、
営業企画の仕事をしている。
4時間半も食べて、飲んで、話した。
互いの情報を交換した。
山本さんと話していると、
30年前のことまで思い出されて、
私も少し若返った。
有難い。
やはり倉本長治を思い出した。
「あきないの心」
69 広告とは何か
「広告することの意義をよく理解しない人が、
商人のうちにも、消費者の中にも、
たくさんいる」
消費者は仕方がないかもしれないが、
商人が広告を理解しないのは困る。
「本当の広告とは、
商人が消費者に向かって、
このお店でお求めなさい、
この品をお買いなさいと、
かならずしも言わなくとも、
“これがあなたにとって
一番有利で、便利で、決してご損がない、
あなたの生活を幸福にする
最もいいことなのですよ”と、
親切に誠実に、
専門家としての立場で
知らせて差し上げる、
社会に対する善行なのである」
そう、広告は、
社会に対する善行である。
「世の中のために尽くす商人の
積極性を発揮する運動が
広告なのであり、
正しい広告は儲けるためや
売上げを増進するのが
目的であってはならない」
正しい広告の目的は、
儲けや売上げを増進することではない。
「広告によって
消費者が商人の誠実さを認め、
その提唱に共感し、
その愛情に応えて買物をする結果、
売上げが増え、
利益が増大するに過ぎ ない」
結果として売上げが増え、
利益が増大する。
この言い回しは、
ピーター・ドラッカーとそっくりだ。
長治の結語。
「広告の目的は、どこ までも、
世の中の人びとに幸福を周知し、
結果としてその広告主の経営が
社会的活動を盛んに行えるような
利益( かならずしも金とは限らない)の増大に
寄与するものでなけれ ばならぬであろう」
『マネジメント』のなかで、
ドラッカーも述懐する。
「企業とは何かと聞けば、
ほとんどの人が営利組織と答える。
経済学者もそう答える」
そして断じる。
「だがこの答えは、
まちがっているだけではなく、
的はずれである」
「経済学は利益を云々するが、
目的としての利益とは、
“安く買って高く売る”との昔からの言葉を
難しく言いなおしたにすぎない」
利益を目的とすると、
「安く買って高く売る」と、
同じことになってしまう。
「それは企業のいかなる活動も説明しない。
活動のあり方についても説明しない」
つまり企業活動の目的は利益ではない。
広告の目的も売上げや利益ではない。
けれど目的や使命を果たすと、
売上げや利益が生まれる。
その利益を能力開発に投資する。
するとその能力が使命を果たすことになり、
それが利益を生み出す。
この考え方の回路が逆順することは、
絶対にない。
〈結城義晴〉