結城義晴のBlog[毎日更新宣言]
すべての知識商人にエブリデー・メッセージを発信します。

2021年12月24日(金曜日)

ドストエフスキーの「神と金」と「儲けることの目的」

クリスマス・イブ。

とはいっても仕事。
多分、明日のクリスマスも仕事。

原稿の執筆と入稿。

今年最後の雑誌づくり。
力が入ります。

もうこうやって、45年。

雑誌づくりのために、
取材し、資料を読み、現場を訪れる。
つまり研究する。

それらを総括して、
一定の結論を出す。
それが一冊の雑誌となる。

その合間に、
研修をやったり、講演したり。
その合間に単行本を書いたり。

少しずつ一歩ずつ、
真理に向かって進んでいく。

それが私の仕事です。
それが私の役目です。

いくつになっても、
止められない。
止めてはいけない。

今日はオフィスのそばの歯医者へ。
急に冷たいものを飲むと、
歯が染みる状態になった。
虫歯ではない。

軽い「象牙質知覚過敏症」だと診断された。
歯の磨き方を基本からレクチャーされる。

毎日、丁寧にそれを続けると治る。

12月を振り返ると、
まず大腸ポリープの切除で慈恵大学病院、
糖尿病の治療で大手町プレイス内科、
緑内障の治療でお茶の水井上眼科、
そして知覚過敏症で浅間台歯科医院。

2021年12月は病院巡り月間だった。

幸いにしてこの2年間、
新型コロナウイルスには、
感染しなかった。

それが私へのクリスマスプレゼントだろう。

歯科医院の前の公園の木々。
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小学校は今度の日曜日から冬休みだ。
それでも子どもたちが大勢、遊んでいる。
その声が弾んでいる。

クリスマスのプレゼントが、
待っているからだろうか。

葉のなくなった木々の枝が、
青空に映える。
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2本の銀杏の木。
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師走の空に枝を伸ばす。
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残念ながら横浜は、
雪のクリスマスにはならない。
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日経新聞の一面コラム「春秋」

ロシアの文豪を取り上げる。
フョードル・ドストエフスキー。
(Фёдор Mихáйлович Достоевский)

今年生誕200年、没後140年を迎える。

「ドストエフスキーは
常にお金の問題で悩み続けた」

「自身の賭博癖。
無心に群がる親戚たち。
人生最後の文章も、
小説の印税を早く払ってほしいという
編集者へのお願いだったという」

わかるなあ。

「文豪の素顔は妙に人間臭い」

だから文豪の長編小説にも、
何度もお金が具体的な金額を示して登場する。

『カラマーゾフの兄弟』では、
「現金3000ルーブルが殺人事件の鍵になる」
カラマーゾフの兄弟

現在1ルーブルは1.55円だから、
3000ルーブルは4650円だが、
ドストエフスキー時代の19世紀には、
1ルーブルが現在の1000円相当で、
3000ルーブルは300万円ぐらいだった。

当時の可処分所得にすると、
1500万円くらいだろうか。

『罪と罰』でも、
主人公の貧乏学生ラスコーリニコフが、
金貸し老婆を殺してしまうが、
質草として父親の形見を持ち込む。
その質草の銀時計の値段が、
利子天引きで1ルーブル50コペイカだった。
罪と罰

1500円と言ったところか。
これは情けないほど安い。

ドストエフスキーは、
信仰の意味など深遠な議論を展開しつつ、
金に翻弄される人間を描く。

コラム。
「当時のロシアは
急速な近代化で混乱の中にあった」

社会学者の大沢真幸さんが解説する。
「この作家には神と金が生涯の問題であり、
両者を重ねて見ていた」

今でもそれは人間の悩みの根源である。

その大沢さんの分析。
「金が新たな神となったのが
資本主義であり、
神を巡る精緻な議論は
資本主義の長所と困難を考える
ヒントとして今も有効だ」

渋沢栄一の『論語と算盤』も、
神と金に置き換えることができる。

商売の長所と困難をも考えさせられる。

コラム。
「世情が不安定な時ほど
ドストエフスキーの読者は増えるそうだ。
だとすれば文豪の地位は安泰だが、
素直に喜びにくい」

クリスマスイブの今日。

商売の神様は、
儲けることを正当だとしつつ、
金に対して、

ストイックであれと教える。

倉本長治が書いている。
「金を儲けて富み、尊敬されても、
多くの人を支配しても、
心さびしく、幸せだと感じることのない
哀れな人びとの多いことは、
みんなにもよくわかっている」
倉本長治モノクロ2
商売やビジネスの目的が、
金を儲けることになってしまっては、
いけない。

〈結城義晴〉

2021年12月23日(木曜日)

島田陽介対談の「速射砲島田節」と「人事部教育・教育部教育」

冬至の翌朝の柚子湯。
実にいい。

柚子の香りが強くなって、
ある種の恍惚感が湯船に漂う。

横浜の朝の最低気温は6℃。
体も芯から温まる。

ありがたい。

今日はお昼頃、
商人舎オフィスに出社。

午後2時から、
ZOOM対談。
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お相手は、
島田陽介先生。
1936年生まれの85歳。

こんなご時世でもあるので、
ZOOMミーティングにした。

私が㈱商業界に入ったころ、
倉本長治商業界主幹を筆頭に、
成長する産業に綺羅星のごとく、
偉大な指導者の先生方がおられた。

川崎進一先生、
渥美俊一先生、
奥住正道先生、
城功先生、
藪下雅治先生。

皆さん、故人となられた。

一方で商人道や商業界精神が啓蒙され、
他方でチェーンストア理論が構築された。

この一廻り下の世代が、
故高山邦輔先生、
島田陽介先生、
石原靖曠先生、
山本浩史先生。

私にとって恩人ばかりだ。

これらの先生方を、
販売革新の緒方知行編集長が、
仕切る形で座談会を開催し、
執筆原稿を満載して、
流通革命を推進する雑誌をつくった。

そしてセミナーでは、
パネルディスカッションを展開した。

私は駆け出しの編集記者だった。

その島田先生に、
10数年ぶりにお会いした。
商業界の社長時代以来のことだ。

そして2時間以上も語り合った。IMG_E00631

現在も現役コンサルタントとして、
執筆やオンラインセミナー出講、
そして経営指導に活躍中だ。

速射砲のような島田節は、
85歳になった今も、
まったく変わらなかった。

「緒方さんが亡くなって、
誰も話す人がいない。
わかる人がいない」

私も商業界を離れて、疎遠だった。

島田先生も実に楽しそうだった。
1時間半を過ぎ、2時間を過ぎても、
それは止まらなかった。

私もうれしかったし、楽しかった。
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この長編対談は、
月刊商人舎新年1月号に、
たっぷりと誌面を取って掲載する。

対談というよりも、
今回は島田陽介の激白か。
そこに結城義晴の述懐を書こうか。

オフレコのコメントも、
次々に出てきて、
ハラハラさせられる内容もあったが、
実に刺激的で面白かった。

ありがとうございました。

2016年と2019年には二度、
石原靖曠先生と対談した。
リアルミーティングだった。
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石原先生は1935年生まれで、
現在は86歳。

このときも、
私は楽しかったし、
うれしかった。

私もお二人を見習って、
生涯現役で行きたい。

さて日経新聞電子版「経営者ブログ」
㈱IIJ会長の鈴木幸一さん。
日本のインターネットの草分け。

毎週火曜日に欠かさず執筆する。
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「最近はAIという言葉を使えば、
利用されたAI がどのようなものなのかは
一切説明されず、その信ぴょう性を疑わず
報道されてしまうこともあるようだ」

そうだ、そうだ。

「どんなパラメーターを設定し、
推測統計の手法を使おうと、
AIという言葉をかぶせることで、
一も二もなく信用されてしまう」

「DX」もまったく同じだ。

それ以外にもこういったことは、
たくさんある。

「出雲大社の
縁結びのお札の効能とは違うのだから、
どのようなAIを利用した結果、
このような推測値が出た
という説明を付与すべきだと思う」

同感だ。

「ところが、
AIという言葉をつけるだけで
信用され、説得されてしまうとすれば、
それはそれで危険である」

「クラウドに始まって、
あらゆるモノがネットにつながる
“IoT”に至るまで、
IT(情報技術)の利用について、
あらゆる可能性が報じられている」

何でもできるという錯覚すらある。

「ITの将来に関して
これらのキーワードが示す内容が、
いまだ未成熟な過程にあるにもかかわらず、
政府から民間に至るまで、
あたかも明確で共通な概念であり、
同じ認識をしているものとして
捉えられているとしたら、
ある意味で将来に禍根を残しかねない」

国や産業や企業が、
“クラウド化を徹底する”という方針を出す。
異を唱える者はいない。

しかし肝心のクラウドに対する認識が、
それぞれのレベルで異なっている。

「現にクラウドについて、
単なるサーバーのこととしか
認識できない要人がいることを見るにつけ、
私の心配は大きくなるばかりである」

だからITリテラシーが必須になる。

しかしITやAIやIoTにかぎらない。

「マネジメント」も「組織」も、
「教育」や「人材」の概念ですら、
その中身は千差万別、
天と地ほども異なる。

同じマネジメントでも、
アンリ・ファヨールと、
ピーター・ドラッカーでは、
正反対と言えるほど違う。

古典的チェーンストア理論では、
その「管理」や「マネジメント」は、
ファヨールの考え方をもとにしている。

しかしドラッカーは、
それを激しく批判した。
ヘンリー・ミンツバーグも、
ハーバート・サイモンも、
ファヨールを否定している。

それでも「マネジメント教育」は、
ファヨール理論を基本にして、
今でも平気で行われている。

たとえば「教育」や「研修」に関しても、
人事部や教育部は、
新入社員教育や店長研修を考える。

しかし、
その人事部教育や教育部教育こそが、
その前に必要である。

最も必要なのは、
トップマネジメントの教育や研修だ。

そしてなにを、どう教育するかが、
一番大事だ。

もちろん、
「チェーンストア」に対する考え方も、
渥美俊一と島田陽介とでは、
まったく異なる。

いったいどんな会社にしたいのか。
どんな使命をもつのか。

すべてはそこから始まる。

島田陽介先生との対談。
楽しかったなぁ。

〈結城義晴〉

2021年12月22日(水曜日)

冬至の「柚子湯」と東急ハンズ売却の「おまえは泳げる!」

冬至。

そして冬至の柚子湯。IMG_97851

「湯治の融通」の語呂合わせという説もある。IMG_97891
それでも冬至に柚子湯に入ると、
1年の疲れがとれる気がする。

今日は朝からオンライン役員会。
㈱True Data。
マザーズに上場したばかり。
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いつもと変わらず、
活発なディスカッション。

ホームページの役員紹介。
取締役は8人。
執行役員が5人。

すごくいい顔ぶれです。

よろしくお願いします。

商人舎流通SuperNews。
東急ハンズnews|
親会社の東急不動産HDがカインズに売却譲渡

㈱東急ハンズ。
東急不動産ホールディングスの完全子会社。

㈱カインズに売却される。
譲渡額は非公表。

新型コロナウイルス感染拡大で、
業績が落ち込んだとされるが、
コロナ禍の前から、
ストアフォーマットの革新が見られず、
業績は低迷していた。

コロナは時間を早める。
それが売却となった。

東急ハンズの創業は1976年。
第1号店は藤沢店。
私が㈱商業界に入社する前年。

1974年オープンの、
イトーヨーカドー藤沢店も絶好調だった。

商業界の筆者の一人だった浜野安宏さんが、
コンセプトワークを担当し、
コンサルティングした。

テーマは「手の復権」
「手を通じて新たな生活・文化を創造しよう」
東急ハンズ

実に良いテーマだ。

第3号店が1978年オープンの渋谷店。
これが旗艦店となっが、
私は何度も取材した。

個人的にもずいぶん買物に行った。

現在は、国内外で86店舗を展開する。
そのうちフランチャイズが24店舗。

年商は2019年3月期が973億6700万円、
2020年3月期が965億2800万円。

コロナ前にも停滞していたことが、
この実績に表れている。

私にもちょっとだけ打診があった。
乗れなかったけれど。

それが2021年3月期には、
631億1300万円に落ち込んで、
営業損失44億7300万円、
経常損失46億1000万円、
純損失71億3600万円。

譲渡予定日は22年3月31日。

カインズはしばらく、
「東急ハンズ」のバナーは変えないようだ。

そのほうがいい。

企業価値やブランド価値は、
まだまだ高いからだ。

都市型DIYのフォーマット。
今からつくろうとしても、
それはかなわない。

カインズは良い買物をした。
東急不動産はもったいないことをした。

なぜ、こうなったか。

簡単だ。

初期のイノベーションを超える、
新たなイノベーションがなかったからである。

では、どう立て直すか。
はたまた、
会社のスクラップ&ビルドをするか。

イノベーションの原則に従うしかない。
誰がそれをやるか。
やり遂げるか。

問題はそこにある。

日経新聞経済・政策面。
「景気”持ち直しの動き”」

12月の政府月例経済報告。
国内景気の総括判断は、
「持ち直しの動きがみられる」として、
1年5カ月ぶりに上方修正。

東急ハンズの売却は、
何ともタイミングの悪い時の発表だ。

「ほぼ日刊イトイ新聞」
糸井重里さんの毎日エッセイ。
「今日のダーリン」
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「おまえは泳げるんだ!」という話。

糸井さんが読んだ昔の『週刊文春』の記事。
その要約が的確だ。

「川の流れるキャンプ場に行った家族。
小学生の息子が川辺で遊んでいるうちに、
川に入って足をとられ流されはじめた」

「そんな経験はないから
息子はあわててしまって、
じたばたと暴れているのだが、
どうにもならない」

「父親が助けにいくが混乱している息子に
手を貸すのがなかなか難しい」

「そんなとき、父は
息子が水泳教室に通っていて、
プールで泳いでいたということを思い出した」

「いま溺れている息子は、
ほんとうは泳げるのだ」

「父は、息子に向かって叫んだ
“おまえは泳げるんだ!”」

「その声を聞いた息子は、
はっと気づいて泳ぎだして、
岸に近づき父の手につかまって助かった」

――だれかが「おまえは泳げる」と、
声をかけてくれる。

それだけでなんとか泳げてしまう。

「おまえは泳げる」と
声をかけてくれる人がいないと、
溺れてしまう。

「見ていてくれる人がいること」
「人を信じるこころが、じぶんにあること」
糸井さんはこの2つのことが、
「人をよく泳がせてくれる」と言う。

同感だ。

私はいつも「おまえは泳げる!」と、
声をかける役目だ。

これまでも、これからも、ずっと。

だから東急ハンズも、
「泳げるよ!」

関西スーパーも、
「君らは泳げる!!」

True Dataも、
「君らはもっと速く泳げる!」

平和堂ももちろん、
「君らはもっとよく泳げる!」

そのほかの会社も店も、
「君たちは立派に泳げる!!」

本当だよ。

〈結城義晴〉

2021年12月21日(火曜日)

FSSF2021の報告・反省会とコンビニvsスーパーマーケット

東日本大震災のあとのような心持ちで、
昨日という1日が過ぎていった。

夏原平和さんが亡くなって、
心にぽっかりと空洞ができたようだった。
夏原平和2
毎月のようにお会いしたわけではない。

けれど、
月刊商人舎や毎日更新宣言ブログを、
読んでくださっていて、
未来に続く同じテーマを考えている。

私はそんな印象をもっていた。

いわば同志を失った。
私だけの気持ちだが、
ひどく寂しい。

ご冥福を祈りつつ。

昨日は午前中に、
東京・八丁堀。
日本食糧新聞社。

フードストアソリューションズフェア。
略してFSSF2021。
12月2日・3日に大阪で開催された。

その結果報告と反省の会。

主催の日本食糧新聞社から、
今野正義会長と杉田尚社長。
共催の離島振興地方創生協会から、
理事長の千野和利さん。
そしてアドバイザーの商人舎。
結城義晴と亀谷しづえ。

千野さんが一足先に、
次のアポに向かわれたので、
残る三人で写真。
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来年も商人舎はセミナーをはじめとして、
さまざまの協力をすることになった。

よろしくお願いします。

2025年に大阪万国博覧会が開催される。

コロナ後の日本はこの、
4年後の大阪万博に向かって、
一つの大きな軌道を歩む。

それが東京一極集中を脱し、
着実に地方創生を推進することになる。

FSSFは西日本の食品小売業18社が、
副主催となってそれを支える。

私は九州・福岡に生まれ、
神奈川県で育ち、
東京にある大学と会社に通った。

だから東京首都圏のすごさを思い知らされたし、
西日本や地方の大切さもわかる。

FSSFは関西と西日本と地方から、
日本の食品産業を盛り上げる。
そんな使命をもっている。

そのあと、横浜商人舎オフィスに戻る。
横浜駅西口の新田間川。IMG_97631

それから今年最後の仕事。
月刊商人舎2022年1月号の編集。

夏原平和さんには、
読んでいただけないけれど、
渾身の一冊にする。

今回も執筆量は多い。
頑張ります。

夕方の新田間川と横浜駅西口。IMG_976411
さて昨日の日経新聞「経営の視点」
タイトルは、
「流通、11兆円支える270社と3社」
サブタイトルは、
「地場零細に宿る価値」

編集委員の田中陽さんの書下ろし。

スーパーマーケットと、
コンビニエンスストア。

その産業の特性の差異を分析する。

「両者の市場規模は約11兆円でほぼ同じ。
ところが企業数では全く違う顔を見せる」

スーパーマーケットは約270社、
コンビニは大手3社で約9割を占める。

「スーパーはさぞかし苛烈な競争を
演じているかといえば
主要都市の住宅地周辺などの
局地戦を除くと、そうではない。
すみ分けが進む」

私はかつてこれを、
「スーパーマーケット天国」と呼んだ。

「コンビニは厳しい競争にさらされ、
再編が繰り返され、
寡占でも競争環境は変わらない」

こちらは「鼎占(ていせん)である。

「この違いを今日的な言葉で表現すれば
“多様性と同質性”の差だろう」

スーパーマーケットはいまだ、
ローカルチェーンが基礎単位だ。
私は廃藩置県の「藩単位」が基準だと考えている。

コンビニはナショナルチェーンとなった。

「国土が狭いニッポンだが、
同一法人として全国展開する食品スーパーは
存在しない」

アメリカには、
クローガーとアルバートソンがある。

しかし日本は、
ナショナルチェーンとはならない。

イオンのマックスバリュなどは、
リージョナルシフトを敷いている。

田中さん。
「同グループは
幾度となく集約化を検討したが
食文化、食習慣を尊重すると
中央集権型でなく、
地域密着の分散経営に落ち着いた」

「川一本を挟んだだけで
味噌やしょうゆの味や色が異なる。
餅の形も丸や四角に。
水の違いもある」

「日本には、
しょうゆ、味噌のメーカーが
それぞれ約1000あり、
こうした商品をスーパーに届けるのが
地域に根を張る食料・飲料卸売業。
事業所数は約3万5000」

「メーカーも零細だから量産は難しく、
それが郷土料理として輝く」

「卸も零細だが、
それゆえに地域のひだに入り、
庶民が慣れ親しんだ味覚、
舌の記憶を支える。
豊かで共同体的な市場経済が
エコシステムとなる」

一方のコンビニは、
「大手3社は全都道府県に
看板を掲げるまでに成長した」

「狭い売り場で高速回転で
人気の商品をさばき続けて
利益を稼いだ結果が同質化」

「地域性を意識はするが
地場スーパーには及ばない。
コンビニ経営の間尺には合わなかった。
再編で目指した寡占の果実は
逃げ水だった」

コンビニにも手厳しい。

田中陽さんの結論。
「コロナ禍でいろいろな産業で
再編が加速している。
流通業も例外ではないが、
再編、寡占に勝者はいるのか」

「そうした資本と競争の論理とは
一線を画し、地域社会を守るところに
存在価値が宿るはずだ」

これは同感だ。

だから食品による「地方創生」は、
スーパーマーケットが、
地域の卸売業や生産者・製造業とともに、
推し進めることになる。

巨大なナショナルチェーンと、
良質のリージョナルチェーン、
個性的なローカルチェーン。
そして類のない支店経営。

それぞれにそれぞれの、
ポジショニング戦略がある。

ユニークな立ち位置があるからこそ、
それが存在価値となって、
地方創生は進捗するのだと思う。

〈結城義晴〉

2021年12月20日(月曜日)

夏原平和さん、早すぎる。惜しい。けれど見事な人生だった。

Everybody! Good Monday!
[2021vol51]

2021年第51週。
12月第4週。
今年も残すところ2週間。

12月20日。

午前1時19分、
夏原平和さんが永眠された。
㈱平和堂代表取締役会長。
夏原平和2
77歳だったが、
まだまだ若い。
ほんとうに惜しい。

父上の故夏原平次郎創業者は、
91歳で亡くなられた。

だから15年、いや10年、早い。
早すぎる。

心から、こころから、
ご冥福を祈りたい。

夏原平和さんのお生まれは、
1944年9月15日。
昭和にすると19年。

終戦の前の年の9月に、
平次郎さんのご長男として誕生。

太平洋戦争が終盤に差し掛かって、
日本は苦しい戦いを強いられていた。

国中で一億総玉砕などと言われていたときに、
平次郎さんと妻の千代さんは、
息子に「平和(ひらかず)」と名づけた。
平和を願っての命名である。

その勇気と見識には驚かされる。

平次郎さんは終戦後の1957年3月1日、
滋賀県彦根市銀座街に小売店舗を開業する。
「靴とカバンの店・平和堂」

長男に「平和」と名前をつけ、
近江で始めたお店に、
「平和堂」と屋号を冠した。

近江商人の「三方良し」を体現するのが、
「平和」のコンセプトである。

そして夏原平和は、
その思いを背に生き続けた。

優しい人柄で、温厚な紳士だが、
貫くものは太くて熱い。

株式会社平和堂には、
この「思い」が貫かれている。
それが鳩のマークに象徴されている。

「平和」への願いこそが、
平和堂のルーツであり、
DNAである。

その後、滋賀県を中心に、
チェーンストア化が図られた。
繁盛のDNAは、必然ともいえる勢いで、
多店化をもたらした。

やがて近隣の府県に店舗網は広がった。

現在は2府7県に156店舗を展開し、
小売業や外食、ビル総合管理業務など、
連結子会社は16社を数える。

平和さんは同志社大学法学部を卒業するが、
その卒業前に長い世界一人旅に出る。

当時は「カニ族」などと言われたが、
かなり危ない経験もした。
ソ連からヨーロッパ、
そして中東、インド。
夏原さんがこの話をするときには、
青年の顔になり、青年の目になる。

自身、大きな体験だった。

大学卒業後の1968年、平和堂入社。
そして直後にペガサスクラブに出向。
故渥美俊一先生の厳しい指導のもとで、
1年間、チェーンストア理論を学んだ。

平和堂にもどってからは、
チェーンストアの要所要所の経験を積んで、
1989年、代表取締役社⾧に就任。
44歳の若い社長だった。

私が商業界食品商業編集長になった年だ。

しかし平和社長就任とともに、
時代は大きく変わった。

バブル経済の崩壊である。

この年、平和社長ははやくも、
「HOPカード」を導入している。
平和堂オリジナルポイントカードである。

現在の累計発行枚数は400万枚を超え、
平和堂の固定客獲得のベースであるとともに、
プロモーションとマーケティングの礎になっている。

さらに翌年の1990 年、東証一部上場。

郊外にはSC型アル・プラザを出店する一方、
その周辺にはスーパーマーケットを配置し、
平和堂のマルチフォーマット戦略を構築した。

スーパーマーケットのバナーは「フレンドマート」だ。

国内M&A戦略も着々と進めて地域を広げ、
さらに1998年には中国湖南省に出店。
こちらは百貨店スタイルの大型店として、
4店舗が現地にとけこんでいる。

しかし2012年、
尖閣諸島問題に端を発した暴動が勃発。
店舗も大きな被害を受けた。

このとき社長自ら、いち早く現地に赴き、
陣頭指揮をとって営業体制を整えた。

社長が顔を見せたことで、
現地従業員は思いを一つにして、
暴動から2カ月後には、
全店で営業を再開。

この活躍は日本のメディアでも、
大々的に報じられた。

日本と中国との互いの理解にも貢献した。

私はこのときにも、
平和堂のDNAが生かされたのだと思った。
そして夏原さんは若返ったと感じた。

私はと言えば、
東日本大震災後の2011年6月から、
1年に2度ずつ平和堂米国研修を引率している。
コロナ禍で2020年から中断しているが、
参加者は第18団まで総勢800名を超えた。

不意にどの店に行っても、
誰かが声をかけてくれる。

事前講義をし、班ごとのテーマを決め、
視察、研修をし、講義を聞いて、
互いにディスカッションをし、
帰国してからイノベーションに取り組む。

その発表を次の団員が聴講し、
また自分のテーマを決めて、
イノベーションに挑む。

まさに鎖のようにつながって、
持続的イノベーションが展開される。

私にとっても実験的な研修方式で、
大きな成果が上がったと思っている。

夏原平和さんご自身も、
2012年の第3団にフル参加して、
この研修にかける意欲を、
幹部や社員に示した。

社長とともに学ぶことに、
第3団のメンバーは至上の喜びを感じた。

2015年、夏原さんは、
「100年企業を目指すためには」と考えて、
グループ憲章を制定した。

「全従業員の物心両面の
幸福(しあわせ)を追求するとともに、
お客様と地域社会に
貢献し続ける企業となる」

2017年に平松正嗣社長に座を譲って、
会⾧に就任してからは、
次代のリーダー育成に邁進した。

創業60 周年の2017年には、
新本部「HATOC」竣工。
「HeadOffice And Training Omotenashi Communication」

単なる本部(HeadOffice)ではなく、
研修や学び(Training)、
誠心誠意応対する(Omotenashi)、
顧客や店舗の要望を聞き、
情報や意志を伝える(Communication)。

それらが一体となったのがHATOCである。
HATOCにはもちろん、
平和の象徴鳩の意味が込められている。

夏原平和さんは、
平和を背負って生きてきた。
平和を背負って仕事をしてきた。
会社を経営してきた。

その平和を追及し続け、
三方良しを全うして、
人生の幕を閉じた。

早すぎるし、
惜しい。

けれど、
見事な人生だった。

それが残されたすべての人にとって、
救いとなり、鏡となるものである。

再び心からご冥福を祈りたい。

合掌。

〈結城義晴〉

2021年12月19日(日曜日)

倉本長治とドラッカーの「使命・目的」と「売上げ・利益」

最初の日に神は、
天と地をつくった。

そして暗黒の闇の中に、
光を生み出して、
昼と夜とを分けた。
20110816201949

次の日に神は、
空をつくった。

次の次の日には、
海と地をつくって、
地に植物を茂らせた。

次の次の次の日には、
太陽と月と星をつくり、
その次の日に、
魚と鳥をつくった。

さらにその次の日に神は、
動物をつくった。
この日、神は自分に似せて、
男と女を創造した。
lgp01a201304021800

そして最後の七日目に、
神は、休んだ。
DSCN7872.JPG7
以来、七日目の日曜日は、
安息の日となった。

私は土曜日に休んだ。

そして日曜日は出かけた。
新横浜プリンスホテル。

真っ青の幻想の世界。IMG_97601

クリスマスツリー。IMG_97611

山本恭広さんとランチミーティング。 IMG_E9759111
私の3番目の部下。

慶應義塾大学文学部を出て、
㈱商業界に新卒入社。

そして食品商業編集部に配属された。
編集長は結城義晴だった。

徹底的に鍛えた。
山本恭広はそれに耐え抜いた。

全盛期の食品商業編集部で、
全盛期のハードワークを経験した。

その後、食品商業編集長に就任。
その後、販売部長などを歴任して、
商業界取締役となった。

現在は販促企画支援の会社で、
営業企画の仕事をしている。

4時間半も食べて、飲んで、話した。
互いの情報を交換した。

山本さんと話していると、
30年前のことまで思い出されて、
私も少し若返った。

有難い。

やはり倉本長治を思い出した。
「あきないの心」
あきないの心22
69 広告とは何か

「広告することの意義をよく理解しない人が、
商人のうちにも、消費者の中にも、
たくさんいる」

消費者は仕方がないかもしれないが、
商人が広告を理解しないのは困る。

倉本長治モノクロ
「本当の広告とは、
商人が消費者に向かって、
このお店でお求めなさい、
この品をお買いなさいと、
かならずしも言わなくとも、
“これがあなたにとって
一番有利で、便利で、決してご損がない、
あなたの生活を幸福にする
最もいいことなのですよ”と、
親切に誠実に、
専門家としての立場で
知らせて差し上げる、
社会に対する善行なのである」

そう、広告は、
社会に対する善行である。

「世の中のために尽くす商人の
積極性を発揮する運動が
広告なのであり、
正しい広告は儲けるためや
売上げを増進するのが
目的であってはならない」

正しい広告の目的は、
儲けや売上げを増進することではない。

「広告によって
消費者が商人の誠実さを認め、
その提唱に共感し、
その愛情に応えて買物をする結果、
売上げが増え、
利益が増大するに過ぎ ない」

結果として売上げが増え、
利益が増大する。

この言い回しは、
ピーター・ドラッカーとそっくりだ。

長治の結語。
「広告の目的は、どこ までも、
世の中の人びとに幸福を周知し、
結果としてその広告主の経営が
社会的活動を盛んに行えるような
利益( かならずしも金とは限らない)の増大に
寄与するものでなけれ ばならぬであろう」

『マネジメント』のなかで、
ドラッカーも述懐する。

「企業とは何かと聞けば、
ほとんどの人が営利組織と答える。
経済学者もそう答える」

そして断じる。
「だがこの答えは、
まちがっているだけではなく、
的はずれである」
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「経済学は利益を云々するが、
目的としての利益とは、
“安く買って高く売る”との昔からの言葉を
難しく言いなおしたにすぎない」

利益を目的とすると、
「安く買って高く売る」と、
同じことになってしまう。

「それは企業のいかなる活動も説明しない。
活動のあり方についても説明しない」

つまり企業活動の目的は利益ではない。
広告の目的も売上げや利益ではない。

けれど目的や使命を果たすと、
売上げや利益が生まれる。

その利益を能力開発に投資する。
するとその能力が使命を果たすことになり、
それが利益を生み出す。

この考え方の回路が逆順することは、
絶対にない。

〈結城義晴〉

2021年12月18日(土曜日)

「右・左。上・下。 どっちを向いても感謝」と「不知爲不知・是知也」

慈恵大学病院に入院して、
大腸ポリープ切除手術をしたのが12月8日。
それからもう10日が経過した。
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2週間は禁酒とスポーツを禁じられて、
静養しつつ仕事をしようと考えていた。

それでも、師も走る12月。

あれやこれやと仕事が入って、
あっちこっちと動く。

エスカレーターは使わない。
できるだけ階段を登る。

歩く、歩く、歩く。
ゆっくりと。

走らない。

しかしFacebookでは、
さまざまな声が寄せられる。
「無理をしないように」
「大事にしてください」
「ご自愛ください」

ほんとうにありがとうございます。
肝に銘じます。

ここで思い出した。
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「右、左。上、下。

どっちを向いても感謝」
〈水口健次〉

水口憲治先生は、
2008年10月29日に亡くなられた。
11月18日、東京・青山斎場で、
㈱戦略デザイン研究所の社葬が行われた。

日本のマーケティングの権威。

生前はずいぶんお世話になった。
76歳だった。
水口憲治
その水口先生のことば。
「右、左。上、下。
どっちを向いても感謝」

さらにつづく。
「私は生かされて、生きる」

私は2008年12月の商人舎標語として、
この水口先生の言葉をお借りした。

いま、そんな気持ちだ。

「右、左。上、下。
どっちを向いても感謝」
〈水口健次〉 

今日の土曜日は、
感謝しつつ、
昼すぎまで寝ていました。
さらに一歩も外に出ずに、
休みました。

ありがとうございました。

朝日新聞「折々のことば」
第2236回。

不知爲不知、
是知也。

〈孔子『論語』巻第一・爲政(いせい)第二から〉

「知らざるを
知らずと為
(な)せ。
(こ)れ知るなり」

編著者の鷲田清一さん。
「自分はこういう世界、
このような問題があることを
これまでずっと知らなかったのかと、
愕然(がくぜん)とすることがある」

私にもある。

ジャーナリズムの本質は2つある。
第1は人々が知らないことを知らせる。
第2は人々が知っていると思っていることが、
そうではないことを知らせる。

私はそれを目指している。

しかしそのための態度がこれだ。

「知らないことは知らないこととする、
それが知るということだ」

なかなかそれが表明できない。

トヨタ生産方式で大野耐一さんは、
「なぜ」を5回繰り返せと教える。
トヨタ生産方式

それは「知ること」に貪欲であること。
5回問わねば真実に迫れないからだ。

ここには「知らないこと」に対する謙虚さがある。

「限界や輪郭を知ってはじめて
人はおのれの知のありようを知る。
謙虚という徳が知恵の裏張りをなす」

そう、謙虚の徳が、
知恵の裏張りなのだ。

水口先生の言葉にも、
謙虚な感謝にあふれている。

朝に希望、
昼に努力、
夕に感謝。

ありがとうございます。

〈結城義晴〉

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結城義晴・著


流通RE戦略―EC時代の店舗と売場を科学する

鈴木哲男・著

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新装版 店長のためのやさしい《ドラッカー講座》

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