去年(こぞ)今年貫く棒の如きもの
正月を迎えるといつも思い出す。
高濱虚子の句。
昨年も今年も貫かれている、
棒のごときものがある。
その一本の棒が自分だ。
それぞれの人が、
それぞれの棒をもっている。
それがいいんだな。
今日は商人舎オフィスに出て、
諸々の郵便物や電話の留守録をチェックした。
一人のオフィスもいいもんだ。
ただし、右の歯がまだちょっとだけ痛い。
ずいぶんよくなったが、まだ染みる。
正月のテレビで、
芸能人格付けチェックを見ていたら、
郷ひろみが何種類もの歯ブラシを使って、
15分もかけて歯を磨くという話が出た。
それも試食程度に食べたのに。
なるほど。
こうまでしなければ、
歯の健康は保てないのか。
納得。
私も丁寧な歯磨きをします。
歯と足は健康にとって、
極めて大事な器官であり、部位である。
さて、[Message of January]
テーマを資源化せよ!!
よくよくあなたがたに言っておく。
一粒の麦が地に落ちて死なない限り、
それはただの一粒のままである。
しかし、もし死んだならば、
豊かに実を結ぶようになる。
( 「ヨハネによる福音書」第12章24節)
一粒の麦はテーマである。
テーマは資源とみなされない限り、
それはただの一粒のテーマである。
しかし、もし資源化することができれば、
豊かに実を結ぶことになる。
コロナ禍パンデミック3年目の2022年。
大きく変わったことは目の前に横たわっている。
変わらなかったことも同じく目の前にある。
私たちはこの感染症の蔓延によって、
変わり続けていくテーマを知らねばならない。
消費意識と消費行動はどう変質するのか。
マーチャンダイジングはどう変貌するのか。
店やフォーマットはどう変革されるのか。
会社は、組織は、経営はどう変容するのか。
そしてあなた自身はどう変身するのか。
ドゥ・ハウス創始者の小野貴邦さんの言葉。
「過去から押しても怪獣は動かない。
未来から今日を引っ張ってやれば、
怪獣は動いてくれる」
怪獣は社会であり、経済であり、消費である。
コロナ禍の断絶によって、
過去から怪獣を押す必要はさらになくなった。
だからテーマの資源化を原動力にして、
未来から今日を引っ張ってやろう。
消費や市場という怪獣は必ず動き出す。
よくよくあなたがたに言っておく。
一粒の麦が地に落ちて死なない限り、
それはただの一粒のままである。
しかし、もし死んだならば、
豊かに実を結ぶようになる。
一粒の麦はあなたの観察であり着想である。
この一粒をテーマ資源化しない限り、
それはただの一粒のテーマである。
しかしもし資源化し、掘り起こすことができれば、
それは仕事に商売に豊かな実をつけることになる。
冒頭の段落は、
「ヨハネによる福音書」第12章24節。
ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」で、
一番最初に引用されている一句。
それをモチーフにした。
一粒の麦はそのまま食べてしまえば、
一粒の麦に過ぎない。
けれど一粒の麦を大地に蒔いて育てれば、
それは多くの麦を実らせる。
イエスはこの麦のことを語るとともに、
自分が人々のために死ぬことの意味も、
暗示的に伝えた。
私という一粒の麦は、
十字架にかかって死ぬことによって、
多くの麦を実らせるのだ、と。
私はこの一粒の麦を、
ひとつのテーマと見立てた。
その一つのテーマが、
市場という大地に落ちて資源となる時、
大きな成果という果実を実らせる。
資源とは、
人間の生活や産業などの活動のために、
利用可能なものである。
かつて産業は天然資源によって成立した。
さらに社会は資本を資源とした。
次に労働力が資源となった。
ピーター・ドラッカーは、
知識を資源とする時代がやってきたと指摘した。
その知識のなかの中心となる問題、
人間の生活の主題となるものこそ、
最大の資源である。
たとえばSDGsは、
持続可能な開発目標であり、
17の大きな目標で構成される。
この目標こそテーマであり、
それは人類の資源である。
それらを達成するための具体的な、
169のターゲットも資源である。
今年はテーマを資源化しよう。
それを掘り出すことができれば、
豊かな成果を生み出すことができる。
新型コロナ禍の断絶から、
今年こそ抜け出すことができる。
もちろんコロナウイルスとは、
動的均衡のなかで共生することになる。
その時に私たちは、
一粒の麦のことを考え続けねばならない。
誰もが一粒の麦をもつ。
あるいは自分が一粒の麦である。
その一粒の麦をそのまま食べてしまえば、
一粒の麦に過ぎない。
一粒の麦として一生を終えれば、
それも一粒の麦に過ぎない。
けれど一粒の麦を大地に蒔いて育てれば、
それは多くの麦を実らせる。
今年も私たちに、
その決断が突きつけられている。
〈結城義晴〉