スポーツ界は春本番。
コロナもウクライナもなければ、
もっともっと関心を持たれたし、
もっともっと報道されただろう。
選抜高校野球大会は、
第8日を消化して、
準々決勝の組み合わせが決まった。
浦和学院(埼玉)・九州国際大付(福岡)
近江(滋賀)・金光大阪(大阪)、
国学院久我山(東京)・星稜(石川)、
市和歌山(和歌山)・大阪桐蔭(大阪)
選抜大会だから、
夏の甲子園のように、
全都道府県からの出場はない。
そのかわりに、
大阪府からは2校が残った。
この準々決勝が一番面白い。
新型コロナウイルス感染で、
広島商業が辞退して、
大阪桐蔭が準々決勝に進出した。
あまり注目されないし、
私もなぜかテレビ観戦などしない。
けれど選手たちは必死に闘う。
それは自分たちにとって、
なによりも意味のあることだ。
一方、プロ野球も、
金曜日に開幕した。
セパ両リーグで3カードずつ、
3連戦を闘った。
3連勝か3連敗。
2勝1敗か1勝2敗。
これしかない。
監督新庄剛志の北海道日本ハムは、
3連敗で最下位。
登録名BIGBOSSの新庄の采配は、
それこそ「混沌作戦」。
コロナ禍でこのところ、
プロ野球にも関心が薄れた。
むしろ大谷翔平に興味がある。
メジャーリーグ・エンジェルスで、
オープン戦先頭打者ホームランを放った。
開幕投手にも指名されている。
こちらも従来の常識を打ち破る、
混沌の世界だ。
ゴルフは、
アクサレディースin宮崎で、
西郷真央が逆転優勝。
まだ20歳。
ジャンボ尾崎の愛弟子で、
昨年は優勝こそないものの、
2位が7回と大活躍した。
パッティングを改良して、
開幕戦のダイキンオーキッドに次ぎ、
早くも今季2勝目を勝ち取った。
不思議なもので、
勝ち始めると強くなる。
勝てなくなると弱くなる。
強いから勝つのではなくて、
弱いから負けるのではなくて、
勝つから強くなり、
負けるから弱くなる。
西郷真央を見ていると、
それがよくわかる。
大相撲春場所は、
千秋楽まで混沌とした。
14日目が終わって、
12勝2敗が新関脇若隆景と平幕高安、
11勝3敗が琴ノ若。
全勝も1敗もいない。
横綱照ノ富士が休場。
大相撲も注目してみてはいなかった。
その千秋楽。
2敗の若隆景と高安が敗れ、
琴の若も負けた。
拍子抜け。
優勝決定戦は若隆景と高安。
若隆景が見事な攪乱相撲で、
初優勝。
日経新聞の吉野浩一郎記者は、
大盤振る舞いの評価をする。
新関脇での優勝は、
大横綱双葉山以来86年ぶり。
突き刺さるような当たりは日馬富士、
強靱な足腰と強いおっつけは三代目若乃花、
筋肉質な体と軽量は千代の富士。
「混沌の世相」は、
スポーツ界にも影響を与えているか。
カール・フォン・クラウゼヴィッツ。
その著『戦争論』で書いている。
「戦争は二者の決闘の拡大版に他ならない」
「無数の個々の決闘が集まって全体をなす」
ここまではほとんどの個人スポーツも同じだ。
団体スポーツもチームという面で考えれば、
二者の決闘だ。
「決闘する者はすべて、
互いに物理的な力を振るい、
完全に自分の力を押し付けようとする」
これもスポーツと同じだ。
しかし、
「敵を打ち負かし、
後の抵抗を不可能とすることが、
当面の目的である」
ここが違う。
「つまり、戦争とは、
相手に自らの意志を
強要するための、
実力の行使である」
プーチンの戦争こそ、
相手に自らの意志を強要するものだ。
「この目的を確実に達成するためには、
敵の抵抗力を無力にしなければならない」
「理論上、それが軍事行動の
本来の目標なのである」
スポーツでも同じように、
戦争と考える者がいるかもしれない。
しかしスポーツの本質的な目標は、
敵の抵抗力を無力にして、
勝利することではない。
相手に自らの意志を強要することでもない。
競争と戦争の違いはここにある。
競争は敵を無力化することではなく、
相手よりも優れた力を発揮することだ。
倉本長治が説いた「正々堂々の競争」は、
顧客に対する商品やサービスの競争だ。
「競争を戦いだと思い、
相手を憎んだり、そねんだり、
傷つけたりする。
まったく困ったことだ」
「商売の競争は
オリンピックと同じように、
また囲碁や将棋のように、
相手方を尊重し、ルールを守って、
実力を競うべきである」
相手を無力化することではない。
これは商売もビジネスも同じである。
ウクライナ戦争を見せつけられて、
その挙句、憂鬱になって、
スポーツの競争まで、
同じように感じてしまう自分を恥じた。
それが今日の収穫だ。
〈結城義晴〉