イオン環境財団設立30周年感謝の会が開催された。
ところは東京パレスホテル。
1990年に 設立され、
1991年、財団設立が認可された。
そして1992年、特定公益法人として認められた。
それから30年。
岡田卓也イオン㈱名誉会長相談役の、
一生をかけた仕事。
「木を植えよう」
私もタイのバンコクに行って、
イオン環境財団の植樹活動に参加したことがある。
㈱商業界社長の時代だ。
感謝の会では冒頭で、
財団理事長の岡田卓也さんが、
壇上に上がって、
6分を超えるスピーチをした。
御年96歳。
〈イオン環境財団ホームページから〉
岡田さんは岡田屋の頃から、
「風樹会」という奨学金の活動を始めた。
チェーン展開の最初の岡崎店では、
桜を植えた。
それはもう立派な桜並木に育った。
さらにベルリンの壁が崩壊したころ、
岡田さんは21世紀を展望して、
「東西問題」が問題視されていたけれど、
「南北問題」こそ真の課題だと予見した。
そしてキーワードは「環境」だととらえた。
SDGsもESGもなかったころ、
環境財団をつくって、活動を始めた。
スピーチの中で、
とくに力がこもったところがある。
「戦争により一瞬で環境は破壊される」
自ら戦争を体験したからこそ、
平和の尊さを知る。
イオンという小売業の社会貢献とともに、
環境財団の活動の意義は、
歴史に大きく刻まれるに違いない。
そのあとの祝辞には、
岸田文雄総理大臣が登壇。
昨年6月のG7サミットでは、
「ネイチャー・ポジティブ経済」が強調された。
イオン環境財団の活動を高く評価しつつ、
官と民の力で環境問題に取り組むことを宣言した。
さらに元マレーシア首相マハティールさんも、
ビデオでスピーチ。
岡田さんに心から感謝の意を表した。
基調講演は、
竹内和彦東京大学特任教授。
地球環境戦略研究機関理事長。
テーマは「里山の展望~人と自然の共生」
イオンの「里山」の意義を、
アカデミズムの観点から評価した。
そして座談会。
宮崎県綾町の河野耕三さん、
北海道厚真町の宮久史さんと、
竹内先生。
テーマは「イオンの森の物語」
木を植える活動は、
「イオンの森」づくりや、
「里山」づくりにつながっている。
次に、ミニコンサートは、
由紀さおりさんと安田祥子さん。
〈オフィシャルホームページから〉
そして読売交響楽団クインテット。
三曲目の「木を植えて」は、
谷川俊太郎作詞・伴剛一作曲。
イオン環境財団のテーマ曲になっている。
さらにクインテットの伴奏で、
「ジャスコ社歌」が演奏され、
OBカルテットが合唱した。
石原慎太郎作詞・神津善行作曲。
さらにサプライズで、
早稲田大学応援部のエール。
「コンバットマーチ」。
もちろんビデオでの応援。
最後の最後は理事長交代の儀式。
岡田卓也さんは6月をもって引退し、
次の理事長は岡田元也イオン会長に引き継がれる。
植樹のときに卓也さんが使っていたクワが、
元也さんに渡された。
岡田卓也さんには、
商業界時代からご指導いただき、
応援もしていただいた。
かつては「販売革新を読め」、
今は「商人舎を読め」と、
イオン幹部にお勧めしてくださる。
商人舎発足の会にも、参加していただいた。
お元気でいて欲しい。
それだけが私の願いだ。
ワンガリ・マータイさん。
ケニア出身の2004年ノーベル平和賞受賞者。
「MOTTAINAI伝道師」としても有名だ。
彼女のライフワークも植林活動である。
植林を通じて、民主化を進め、
持続可能な開発で平和世界を残す。
「地球には、百万という
生命体の種類が存在しているのに、
我々人間はそのたったひとつ」
「しかも我々の存在は、
他の生命体を食料などとして
必要としているのに、
他の生命体は、
我々のことは特に必要としていない」
「日本人は、
モッタイナイとアリガトウという
気持ちがわかっている。
技術がこれほど発展している社会なのに、
文化を忘れていない」
そのマータイさんのお母さんは、
彼女が小さい子供のころから言っていた。
「雨が降ったら、何かを植えなさい」
雨が降ったら、
何かを植える。
岡田卓也のコンセプトは、
平和産業、地域産業、人間産業。
その中心に顧客がいる。
日本のトップ企業をつくった商人が、
「木を植えよう」を推進した。
先駆けて「環境問題」に取り組んだ。
そのことを私は、誇りにしたいと思う。
〈結城義晴〉