毎日新聞巻頭コラム「余禄」
「日本初のスーパーマーケットはどこか」
うれしいねぇ。
「余禄」で日本のスーパーマーケットの起源を、
論じてくれる。
「時期は東京・青山の紀ノ国屋が最も早い。
1953年にセルフサービス方式を採用している」
一般にはそう言われることが多い。
ただし、丸和フードセンター第1号説もある。
現在の北九州市小倉北区に、
1956年に誕生。
創業者は伝説の吉田日出男。
紀ノ国屋に比べれば、
比較的大型店で、
しかも安売りを旗印にしていた。
世界初のスーパーマーケットは、
米国のキングカレンで、
1930年に登場した。
カレンはクローガーの社員だったが、
トップマネジメントに新フォーマットの提案をした。
それまでのグロサリーストアを、
倉庫型の大型店に変えて、
ディスカウントを武器にする店をつくる。
その上申が拒否されて、
カレンは自分で事業を始めた。
それがキングカレンである。
セルフサービスのグロサリーストアが、
スーパーマーケットに変わった。
その意味では日本の第1号は、
丸和フードセンターであろう。
紀ノ国屋は、
セルフサービス1号店と考えてもいい。
そのセルフサービスは、
1916年のピグリーウィグリーが世界最初だ。
クラレンス・サンダースが発明した。
吉田日出男は、
「主婦の店」を象徴的な店名にして、
「主婦の店」運動の中心人物となっていった。
主婦の店多治見は現在のバローだ。
主婦の店秩父はベルクである。
徳島主婦の店はキョーエイであるし、
淡路主婦の店はリベラルだ。
主婦の店大船渡店はマイヤであるし、
潮来主婦の店はセイミヤだ。
ダイエー創業者の中内功も、
大阪千林の1号店に
「主婦の店ダイエー薬局」と名づけたが、
吉田日出男の主婦の店とは関係なかった。
勝手に主婦の店を名乗った。
しかししかし、
日本列島に最初に登場した、
本格的なスーパーマーケットは、
米軍立川基地の中にあった。
紀ノ国屋よりも先にオープンした。
顧客は米軍の幹部や兵士。
それを㈱商業界の先生方が見に行った。
故渥美俊一先生は加わっていなかった。
故倉本初夫二代目主幹から、
一度だけ聞いたことがある。
もっと丁寧に聞いておけばよかった。
なるほどGHQの職員や兵士たちが、
家族とともに毎日の生活を維持するには、
スーパーマーケットが不可欠だ。
だから全国の米軍基地には、
ミニスーパーがあったに違いない。
現在も「エクスチェンジ」と呼ばれる、
チェーンストアがあって、
世界に3100店を展開している。
正式名称は、
「army air force exchange store」である。
「余禄」はその吉田日出男が戦時中、
強制撤去された市場の復興に尽力し、
入り口に店舗を構えたことを報告する。
その「旦過(たんが)市場」が、
4月19日に火事に遭った。
残念なことだ。
さて今日は、
商人舎オフィスに来客。
ユースキン製薬㈱のお二人。
代表取締役社長の野渡和義さんと、
企画部部長の野渡毅之さん。
私は横浜の中高一貫教育の私立学校に通った。
その器械体操部の3年先輩が野渡さんだった。
中学1年で入部して、
高校生と一緒に練習した。
野渡さんは私の一番のあこがれの先輩だった。
いつも見上げるようにしていた。
2012年、
サッポロドラッグストアーの講演会で、
44年ぶりに再開して、
それ以来、交流が続いている。
貴之さんはそのご長男で、
ユースキン製薬の将来を担う。
このブログデビューです。
よろしくお願いします。
新型コロナウイルス感染拡大で、
人々は頻繁に手洗いをするようになった。
手洗い、マスク、ディスタンス。
そこで手が荒れる。
ユースキン製薬の業績も、
順調だという。
最後に私の本をプレゼントした。
夜、家に帰る時に、
いつも長光山妙蓮寺の前を通る。
その門の前に毎月、
住職の言葉が掲げられる。
よわねをはくな
くよくよするな
なきごというな
うしろをむくな
ウクライナの人々も、
いま、こんな気持ちなのだろうか。
しかし私は思う。
よわねをはいてもいいよ、
くよくよしてもいいよ。
なきごといってもいいよ、
でもうしろをむいてはいけないよ。
よわねをはいても、
くよくよしても、
なきごといっても、
まえをむいていこう。
〈結城義晴〉