いやはてに
鬱金(うこん)ざくらのかなしみの
ちりそめぬれば
五月(さつき)はきたる
〈北原白秋〉
ウコンザクラはバラ科サクラ属の植物。
オオシマザクラをもとに、
日本原産で生まれた栽培品種、
サトザクラ群のサクラ。
鬱金色はやや赤みを帯びた黄色。
だからウコンの別名は「浅黄(桜)」。
白秋はその浅黄の桜が散る中で、
五月が来たことを思う。
その5月です。
ゴールデンウィークが、
5月5日のこどもの日で終わると、
3日後の8日の日曜日は母の日。
毎年のように言っているが、
だから今週は子と母の日、
母と子の日。
日経新聞巻頭コラム「春秋」
その随筆「若葉」から。
「五月という月は
若いものだけに許された
季節のような気がする」
「鮮やかな緑、強く匂う花々、きらめく光」
それが5月だ。
「5月になると若い頃を思い出す――」と歌う。
邦題は「若葉のころ」。
1971年の映画「小さな恋のメロディ」で、
主人公のダニーとメロディが、
並んで下校するシーンで流れた曲。
「古い因習にあらがい、
自由を求める子供らの奮闘ぶりが
歌と相まって共感を呼んだ」
「若者らが思い切り手足を伸ばし、
誰もが心躍り風薫る初夏」
それが5月だ。
コラム。
「観光船の遭難も軍事侵攻も、
これから人生で若葉の季節を迎えるはずの
子供や若者が犠牲になった」
「国民への奉仕者であるはずの
政治のリーダーを、
王様のように子供や若者にあがめさせる。
そんな映像も海外から伝わる」
「時代錯誤だと思うものの、
自由を尊んできた国々に
同種の窮屈さが広がる兆しもある」
「安全でのびやかな世界を
子供らに渡すという責任を、
大人はきちんと果たしているか。
自問すべき5月になった」
「春秋」に同感して、
ほぼ全文をダイジェストした。
丘 浅次郎。
1868年(明治元年)~1944年(昭和19年)。
動物学者であり、
高等師範学校教授だった。
〈出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」(https://www.ndl.go.jp/portrait/)
「初等教育においては、宜(よろ)しく、
信ずる働きと疑う働きとを、
いずれも適当に養うことが必要である」
素晴らしい。
「疑う理由の有ることは
何所(どこ)までも疑い、
信ずべき理由を見出したことは
確(たしか)にこれを信じ、
決して疑うべきことを
疑わずに平気で居たり、
また信ずべき理由の無いことを
軽々しく信じたりすることの無い様に、
脳力の発達を導くのが、
真の教育であろう」
(「疑いの教育」より)
明治の人だが、
教育の本質を言ってくれている。
仕事でも商売でも同じだ。
アカデミズムもジャーナリズムも、
つまり大人の世界でも、
まったく同じだ。
疑う理由があるときには、
どこまでも疑う。
信じるべき理由が見つかったら、
確かにこれを信じる。
疑うべきことを、
疑わずに平気でいる。
また信じるべき理由がないことを、
軽々しく信じたりする。
これらの行為がなされないように、
自分の脳の力を養い、鍛える。
つまり盲信や盲従をしない。
自分の頭で論理的に考察する。
すぐ役に立つことは、
すぐに役立たなくなる。
その理由を追求する。
そのためにいい本を読む。
優れた人の話を聞く。
美しいものを見る。
聴く。触れる。
いい店を見るし、
いい商品を愛でる。
真理を追い求めながら、
仕事に邁進する。
そんな5月にしたいものだ。
〈結城義晴〉